俳句帖はっくしょん [雑感・随想]
2000年にマイホームページを作って早くも十年になろうとしている。
何のために作ったかと言えば、とくに目的はなかった。外に向けて発信して人に読んで貰うためのものなのに、誰もアクセスしない自分のためのもの、という不思議なものになった。
ただ、ホームページを作ればわが人生の後半に出現したあたらしいパーソナルコンピュータやインターネットを少しでも理解するてたでになるのではないかと思ったのである。
さて、そのホームページの扉に一言書いて写真を載せてきた。2002年ころから、それに出来たときだけ俳句をつけはじめた。結果的に写真俳句になった。
文章はできるだけ別途ワードに記録していたし、写真は更新ごとに削除してしまうがバックアップファイルに残っているものもあった。俳句帖はっくしょんはこれをもとに自分の俳句を並べてみたものである。
作ってみての感想その一は、写真や文章に助けて貰ったり、複数句を並べたりする俳句というのは、俳句として自立していないのだということ。その二は、作ったことがないが本当の自選句集というのは、このなかから十句を選べという作業なのだろうが、自分には出来ないな、ということ。自選といえ、作句以上に力が必要だということは容易に想像がつく。ただ、出来た俳句帖ははからずも、この十年間の生活記録となったのは怪我の功名か。(2010年2月記)
何のために作ったかと言えば、とくに目的はなかった。外に向けて発信して人に読んで貰うためのものなのに、誰もアクセスしない自分のためのもの、という不思議なものになった。
ただ、ホームページを作ればわが人生の後半に出現したあたらしいパーソナルコンピュータやインターネットを少しでも理解するてたでになるのではないかと思ったのである。
さて、そのホームページの扉に一言書いて写真を載せてきた。2002年ころから、それに出来たときだけ俳句をつけはじめた。結果的に写真俳句になった。
文章はできるだけ別途ワードに記録していたし、写真は更新ごとに削除してしまうがバックアップファイルに残っているものもあった。俳句帖はっくしょんはこれをもとに自分の俳句を並べてみたものである。
作ってみての感想その一は、写真や文章に助けて貰ったり、複数句を並べたりする俳句というのは、俳句として自立していないのだということ。その二は、作ったことがないが本当の自選句集というのは、このなかから十句を選べという作業なのだろうが、自分には出来ないな、ということ。自選といえ、作句以上に力が必要だということは容易に想像がつく。ただ、出来た俳句帖ははからずも、この十年間の生活記録となったのは怪我の功名か。(2010年2月記)
冬薔薇 [花]
2010年
ときどきよその家の庭に咲いている冬のばらが気になる。
なぜ、こんな時期に咲くのだろうか。四季咲きというのもあるにはあるが。美しいがどこかさみしそうである。
やはり、ばらは春に輝くような陽を浴びて咲くのを見るのが一番のようだ。
冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり 日野草城
ばらのとげから思い出した。
あるとき、ペインクリニックの医者に痛みの度合いというのはどう他者に伝えたら良いのでしょうかと尋ねたことがある。医者は、大変難しいですね。たとえば、自分が最も痛いときの痛みを十として・・とか、ですかね、と教えてくれた。
痛みの種類も度合いも、ひとにより表現は千差万別、医者は難儀だろうと思う。
ふゆばらや麻酔科女医の声やさし
ときどきよその家の庭に咲いている冬のばらが気になる。
なぜ、こんな時期に咲くのだろうか。四季咲きというのもあるにはあるが。美しいがどこかさみしそうである。
やはり、ばらは春に輝くような陽を浴びて咲くのを見るのが一番のようだ。
冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり 日野草城
ばらのとげから思い出した。
あるとき、ペインクリニックの医者に痛みの度合いというのはどう他者に伝えたら良いのでしょうかと尋ねたことがある。医者は、大変難しいですね。たとえば、自分が最も痛いときの痛みを十として・・とか、ですかね、と教えてくれた。
痛みの種類も度合いも、ひとにより表現は千差万別、医者は難儀だろうと思う。
ふゆばらや麻酔科女医の声やさし
アイスプラント [植物]
目黒のたんぼ [俳句]
キウイフルーツ [果物]
2009年
もう植えてから何年たったろうか。日よけの役にしかならなかったキウイが今年はじめて十三個の実をつけた。
キウイフルーツは中国原産でまたたび科またたび属、雌雄異株の落葉蔓性植物とか。一般的なのはヘイワード種。実は十,十一月頃が食べごろ、収穫後一,二か月追い熟させると良いという。
採り時を教へぬキウイの硬さかな
もう植えてから何年たったろうか。日よけの役にしかならなかったキウイが今年はじめて十三個の実をつけた。
キウイフルーツは中国原産でまたたび科またたび属、雌雄異株の落葉蔓性植物とか。一般的なのはヘイワード種。実は十,十一月頃が食べごろ、収穫後一,二か月追い熟させると良いという。
採り時を教へぬキウイの硬さかな
タグ:またたび科またたび属 ヘイワード種
猫のリーリー [動物]
2008年
ひょんなことから我が家に猫がきて5か月近くなる。 名前はリーリー。関係ない話だが、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」の猫はリリーだった。
いまのところ外に出していないので、リーリーを中心に我が家の生活がまるで一変した。
だが、ちょうど体調不良のときで、この猫にどんなに慰められたか知れない。
おそろしや石垣崩すねこの恋 正岡子規
この猫は幸か不幸か恋を知らぬ。やはり不幸に違いなかろう。
恋知らぬあはれ美形の猫りーリー
「上機嫌」を喉のゴロゴロで表現し人間に気に入られた猫は、想像をはるかに超えた長い時間人間に可愛がられ、養われる術を獲得したという。飼ってみるとそれが良く理解できる。
ひょんなことから我が家に猫がきて5か月近くなる。 名前はリーリー。関係ない話だが、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」の猫はリリーだった。
いまのところ外に出していないので、リーリーを中心に我が家の生活がまるで一変した。
だが、ちょうど体調不良のときで、この猫にどんなに慰められたか知れない。
おそろしや石垣崩すねこの恋 正岡子規
この猫は幸か不幸か恋を知らぬ。やはり不幸に違いなかろう。
恋知らぬあはれ美形の猫りーリー
「上機嫌」を喉のゴロゴロで表現し人間に気に入られた猫は、想像をはるかに超えた長い時間人間に可愛がられ、養われる術を獲得したという。飼ってみるとそれが良く理解できる。
白桃 [絵]
2002年
藍胎(らんたい)漆器に盛った桃。 絵に描いたモチならぬ桃だが、文字どおり美味しそうに見えない。圧倒的な存在感も捉えられない。とくに赤い桃の産毛の生えたような肌の質感など絵は現物にほど遠い。 まだまだである。
ずっしりした白桃の存在感から昔暗記した「在り、居り、 侍り、いまそかり」を思いだして其のまま詠んだ。 やや、やけっぱちの句だが、これはありの実ともいう梨の実を描いた時の方が良いと、後で気づいた。 しかし梨はもっと難しいに違いないので描く意欲が湧いて来ない。
白桃や藍胎漆器に盛りにけり
大白桃大白皿に座しにけり
白桃やありをりはべりいまそかり
藍胎漆器は福岡や大分の名産。竹の籠で編んで漆を塗ったざるの目地を砥粉で埋めたもの。
黒、赤の深い色が特徴。
藍胎(らんたい)漆器に盛った桃。 絵に描いたモチならぬ桃だが、文字どおり美味しそうに見えない。圧倒的な存在感も捉えられない。とくに赤い桃の産毛の生えたような肌の質感など絵は現物にほど遠い。 まだまだである。
ずっしりした白桃の存在感から昔暗記した「在り、居り、 侍り、いまそかり」を思いだして其のまま詠んだ。 やや、やけっぱちの句だが、これはありの実ともいう梨の実を描いた時の方が良いと、後で気づいた。 しかし梨はもっと難しいに違いないので描く意欲が湧いて来ない。
白桃や藍胎漆器に盛りにけり
大白桃大白皿に座しにけり
白桃やありをりはべりいまそかり
藍胎漆器は福岡や大分の名産。竹の籠で編んで漆を塗ったざるの目地を砥粉で埋めたもの。
黒、赤の深い色が特徴。
やまもも [植物]
佃島風景 [絵]
エンジェルストランペット [植物]
水彩画のおけいこ [絵]
2007年春
こ絵は、もうない。欲をだして右側に西安の大雁塔を入れて失敗・自滅した。むかし仕事で西安に行ったことがあってホテルには中国服の美しい従業員が大勢颯爽と服務していたことを絵を描いていて思いだした。
また、はじめて俳号晴坊こと先輩の故岡田晴彦さんに、連句を教えて貰ったときに岡田宗匠が
煮物つくるか醤油のにほい 晴坊 と詠まれたとき
白檀やチャイナスリット眼を逸らし 俊郎 と恋の句を付けた。恋の句は普通二句続けるので、
ツアーネームはふたりの蘇州 俊郎 と付けたことを思い出した。
今となってはいずれも懐かしい思い出である。
絵筆折らん花半開の甃のうへ
さて、水彩画の教室に通いはじめて、二年半になる。水彩画なんて技術的にはそう難しいこともないだろうから、一年もすれば飽きるだろうと思っていた。 が、実際には、そんなことはなかった。何枚描いてもうまくかけない。
夏目漱石は、水彩画が好きで良く描いたそうだが、あまり上手くならなかったという。「遠近無差別、黒白平等・・・」などと小説のなかで言っていて少し自棄(やけ)になった気配だ。気持ちが分かるような気がする。
自分は三年も習っているのに上手くならないのでという駄句・掲句をつくった。
花は、満開でなく半開が一番美しいという。甃(いしだたみ)の上に、桜が五分咲きに咲いていて絵にしたいと思うのだが、あまりの美しさに描くことができない。そこでもう絵をやめようかと思っているさまを詠んだつもりである。
甃(いし)は、「石の上にも三年」の石だ。駄句につき、句意は、ひとに多分伝わらないだろうが、花を描くたび正直、いきいきしたこの美しい花を、絵にするのは不可能だなといつも思う。
こ絵は、もうない。欲をだして右側に西安の大雁塔を入れて失敗・自滅した。むかし仕事で西安に行ったことがあってホテルには中国服の美しい従業員が大勢颯爽と服務していたことを絵を描いていて思いだした。
また、はじめて俳号晴坊こと先輩の故岡田晴彦さんに、連句を教えて貰ったときに岡田宗匠が
煮物つくるか醤油のにほい 晴坊 と詠まれたとき
白檀やチャイナスリット眼を逸らし 俊郎 と恋の句を付けた。恋の句は普通二句続けるので、
ツアーネームはふたりの蘇州 俊郎 と付けたことを思い出した。
今となってはいずれも懐かしい思い出である。
絵筆折らん花半開の甃のうへ
さて、水彩画の教室に通いはじめて、二年半になる。水彩画なんて技術的にはそう難しいこともないだろうから、一年もすれば飽きるだろうと思っていた。 が、実際には、そんなことはなかった。何枚描いてもうまくかけない。
夏目漱石は、水彩画が好きで良く描いたそうだが、あまり上手くならなかったという。「遠近無差別、黒白平等・・・」などと小説のなかで言っていて少し自棄(やけ)になった気配だ。気持ちが分かるような気がする。
自分は三年も習っているのに上手くならないのでという駄句・掲句をつくった。
花は、満開でなく半開が一番美しいという。甃(いしだたみ)の上に、桜が五分咲きに咲いていて絵にしたいと思うのだが、あまりの美しさに描くことができない。そこでもう絵をやめようかと思っているさまを詠んだつもりである。
甃(いし)は、「石の上にも三年」の石だ。駄句につき、句意は、ひとに多分伝わらないだろうが、花を描くたび正直、いきいきしたこの美しい花を、絵にするのは不可能だなといつも思う。
栃の木 [植物]
2007年
昨秋、ゴルフ場で栃の実を拾ってきた。月一のダッファーの名誉のために言えば、OBのボールを探しに行って見つけたのではない。ホールの移動途中に栃の木があってパートナーが奥様への土産に拾っていたのに連られ、二つ三つ拾って来たのである。しばらく、実のおもしろい線と面の模様に魅せられて飾って見ていたが、冬に思い立って土に埋めてみた。すっかりそれを忘れていたが、この春に一本だけ細い芽が出て来てすぐに若葉をつけた。
栃は橡とも書く。かつて奈良の十津川村を訪ねた時、栃の実から餅を作る苦労話を聞いたことがある。あくを抜くのに相当の手間がかかるとのことだった。それだけに、備荒食品ではあるが、栃餅には深い味あいがある。
栃の葉は、八手のようなかたちで破れた傘に似ていると思うのは僕だけか。
栃若葉明日は晴れよ破れ傘
ほかに
親不知抜けといわれて梅雨に入る
昨秋、ゴルフ場で栃の実を拾ってきた。月一のダッファーの名誉のために言えば、OBのボールを探しに行って見つけたのではない。ホールの移動途中に栃の木があってパートナーが奥様への土産に拾っていたのに連られ、二つ三つ拾って来たのである。しばらく、実のおもしろい線と面の模様に魅せられて飾って見ていたが、冬に思い立って土に埋めてみた。すっかりそれを忘れていたが、この春に一本だけ細い芽が出て来てすぐに若葉をつけた。
栃は橡とも書く。かつて奈良の十津川村を訪ねた時、栃の実から餅を作る苦労話を聞いたことがある。あくを抜くのに相当の手間がかかるとのことだった。それだけに、備荒食品ではあるが、栃餅には深い味あいがある。
栃の葉は、八手のようなかたちで破れた傘に似ていると思うのは僕だけか。
栃若葉明日は晴れよ破れ傘
ほかに
親不知抜けといわれて梅雨に入る
ふぐのとっくり [酒]
蠟梅と聖護院大根 [季節]
安曇野へ [旅]
アガサクリスティ [生活]
大塚操君逝く(折り句) [追悼句]
高 尾 山 に 登 る [旅]
豊後梅 [植物]
華下忘帰 [季節]
冬到来 [季節]
飯桐(いいぎり)の実 [植物]
2005年
同窓会の翌日、母校の広大なキャンパスを散策していると、沢山の真っ赤な房状の実をつけた高木を見つけた。落ちてしまった葉を見た友達は、桐に似ているという。家に帰り牧野植物図鑑をめくるが、全く分からない。
二、三日後、偶然新聞の日曜欄「草木帖」に掲載されていて名前が判明した。「イイギリ」一属一種。昔、この葉でご飯を包んだことから、飯桐という名が付いたという。
歳時記を見ると秋の季語としてちゃんとある。 新聞と歳時記に脱帽。
飯桐の実のおびただし過ぎし日よ
小春日や母校茫々筑波山
なお、この母校は正確には母校ではない。わが母校は廃学になった。
教授陣などは、かなり移ったが新しい大学は文字通り新設であり形式的に連続性はない。従って後輩と称して学生から電話があってもなんとなく落ち着かない。先方は先輩・先輩と言ってくれるのだけれど。
同窓会の翌日、母校の広大なキャンパスを散策していると、沢山の真っ赤な房状の実をつけた高木を見つけた。落ちてしまった葉を見た友達は、桐に似ているという。家に帰り牧野植物図鑑をめくるが、全く分からない。
二、三日後、偶然新聞の日曜欄「草木帖」に掲載されていて名前が判明した。「イイギリ」一属一種。昔、この葉でご飯を包んだことから、飯桐という名が付いたという。
歳時記を見ると秋の季語としてちゃんとある。 新聞と歳時記に脱帽。
飯桐の実のおびただし過ぎし日よ
小春日や母校茫々筑波山
なお、この母校は正確には母校ではない。わが母校は廃学になった。
教授陣などは、かなり移ったが新しい大学は文字通り新設であり形式的に連続性はない。従って後輩と称して学生から電話があってもなんとなく落ち着かない。先方は先輩・先輩と言ってくれるのだけれど。
稲葉精次さん追悼句(折り句) [追悼句]
2005年
稲葉さんとは、静岡と東京でいっしょに働いた。二年先輩になる。体が大きいわりに恥ずかしがり屋のようにいつもにこにこしていた。
横浜の住まいでマンションの名前は「横浜シティタワー馬車通」であった。
急ぎ足ななかまど散る馬車通り
稲葉さんとは、静岡と東京でいっしょに働いた。二年先輩になる。体が大きいわりに恥ずかしがり屋のようにいつもにこにこしていた。
横浜の住まいでマンションの名前は「横浜シティタワー馬車通」であった。
急ぎ足ななかまど散る馬車通り
タグ:横浜シティタワー馬車通 ななかまど
西洋人形 [絵]
2005年
自分の絵をここに持ってくるのは我ながら心臓だなと思う。この絵は最初に水彩で描き、最後にパステルで仕上げた。この間一年半が経っている。一番上が仕上がり、中が途中のもので下が最初の絵。水彩では重ね塗りは良くないこと、絵には始まりも終りもない(岸田劉生)ということが良く分かります
人形を描き終わりて九月尽 九月尽 陽暦十一月初旬
自分の絵をここに持ってくるのは我ながら心臓だなと思う。この絵は最初に水彩で描き、最後にパステルで仕上げた。この間一年半が経っている。一番上が仕上がり、中が途中のもので下が最初の絵。水彩では重ね塗りは良くないこと、絵には始まりも終りもない(岸田劉生)ということが良く分かります
人形を描き終わりて九月尽 九月尽 陽暦十一月初旬
タグ:岸田劉生 九月尽 陽暦十一月初旬
烏山駅と龍門の滝 [旅]
2005年
我が故郷へ行く烏山線は,宇都宮から東へ宝積寺を経て那須郡烏山町までのワンマンカーである。かつて銀河鉄道999が走った。上の写真がその終点烏山駅、下は駅の近くにある龍門の滝。ナイヤガラとまではいかないが、古い龍伝説のあるりっぱな滝だ。
故郷を出て半世紀が過ぎた。たまに訪れると友は勿論、山や川そして空気が懐かしい。十月一日に南那須町と合併して那須烏山市になるというが、すすむ過疎化を止めることが出来るだろうか。
伊勢近し尾花が上の鰯雲
と詠んだ早野巴人は下野国烏山の人。号は夜半亭。蕪村の師(!)であった。故郷の偉人には遠く及ばぬが・・・・・。
龍棲みて水嵩増すや秋の滝
ふるさとの友の冗談厄日かな
故郷の友と浴びけり滝飛沫
短夜や平均律の果てしなく
ふるさとの少女はおうな風祭 厄日・二百十日
我が故郷へ行く烏山線は,宇都宮から東へ宝積寺を経て那須郡烏山町までのワンマンカーである。かつて銀河鉄道999が走った。上の写真がその終点烏山駅、下は駅の近くにある龍門の滝。ナイヤガラとまではいかないが、古い龍伝説のあるりっぱな滝だ。
故郷を出て半世紀が過ぎた。たまに訪れると友は勿論、山や川そして空気が懐かしい。十月一日に南那須町と合併して那須烏山市になるというが、すすむ過疎化を止めることが出来るだろうか。
伊勢近し尾花が上の鰯雲
と詠んだ早野巴人は下野国烏山の人。号は夜半亭。蕪村の師(!)であった。故郷の偉人には遠く及ばぬが・・・・・。
龍棲みて水嵩増すや秋の滝
ふるさとの友の冗談厄日かな
故郷の友と浴びけり滝飛沫
短夜や平均律の果てしなく
ふるさとの少女はおうな風祭 厄日・二百十日
河童忌 [忌日]
2005年
七月二十四日は芥川龍之介の命日で河童忌。俳号我鬼。一八九二年辰年、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので龍之介と命名されたとか。
青蛙おのれもペンキ塗りたてか 餓鬼
あまり真面目に作品を読んでいないが、随筆や批評が面白いという。今度少し読もうかなと思う。 関係ないが七月二十四日は私の誕生日。大作家は、傑作を残して三十六歳で夭折したが、こちらは六十五歳。 嗚呼。
河童忌やわが誕生日皿洗ふ
七月二十四日は芥川龍之介の命日で河童忌。俳号我鬼。一八九二年辰年、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので龍之介と命名されたとか。
青蛙おのれもペンキ塗りたてか 餓鬼
あまり真面目に作品を読んでいないが、随筆や批評が面白いという。今度少し読もうかなと思う。 関係ないが七月二十四日は私の誕生日。大作家は、傑作を残して三十六歳で夭折したが、こちらは六十五歳。 嗚呼。
河童忌やわが誕生日皿洗ふ
タグ:餓鬼
上高地の結婚式 [祝い事]
まんさくの花 [植物]
祐ちゃんのお父上のご逝去を悼み 故園横枕 [追悼句]
2005年4月
疎開してそのまま高校まで育った栃木県那須郡烏山町横枕は母の実家である。
横枕は古い地名と聞いたことがある。川が流れ下流は小木須川。那珂川の一支流である。
高校卒業以来数回しか帰っていないが懐かしい土地、文字通りの故園である。母の実家は横枕の上(かみ)、三斗蒔に近い方で屋号を竹の入りと言った。小学校へ通う途中、下(しも)の方に祐ちゃんの家はあった。祐ちゃんは高校生まで同級生である。小学校の時も学校の行き帰り、良く祐ちゃんの家で遊んだ。
温和な顔でいつも見ていてくれたお父上の顔を今でも思い出す。
故郷の友の父逝く竹の秋
誰でも幼いときの黄金の日々を持っている。小学校や中学校までの道順を今でも思い出すことができる。かぎりなく懐かしく切ない。
疎開してそのまま高校まで育った栃木県那須郡烏山町横枕は母の実家である。
横枕は古い地名と聞いたことがある。川が流れ下流は小木須川。那珂川の一支流である。
高校卒業以来数回しか帰っていないが懐かしい土地、文字通りの故園である。母の実家は横枕の上(かみ)、三斗蒔に近い方で屋号を竹の入りと言った。小学校へ通う途中、下(しも)の方に祐ちゃんの家はあった。祐ちゃんは高校生まで同級生である。小学校の時も学校の行き帰り、良く祐ちゃんの家で遊んだ。
温和な顔でいつも見ていてくれたお父上の顔を今でも思い出す。
故郷の友の父逝く竹の秋
誰でも幼いときの黄金の日々を持っている。小学校や中学校までの道順を今でも思い出すことができる。かぎりなく懐かしく切ない。