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偲ぶ会 [追悼句]

 2014年 

  凡夫の自分などには、到底及びもつかぬ傑出した人が世にはいるものである。
 その言動は、若い人を育てることを第一に考えていたように見える。大物は清濁併せてというが、濁は決して飲まず、方や清酒を愛した。勲章などを毛嫌いし、権力を持ちながら分け隔てせず人と接しておられた。
 宴会では、客人をよそに仲居さんと議論したりしていた。愛犬のために膳の残り肉を紙に包んでポケットに入れて、見つかると照れ笑いをされながら言い訳をした。
 気くばりのひとという揶揄めいたあだ名は、接する人のことを真に思う立ち居振る舞いから付いたもので、本人は意にも介していなかったのではと思う。
 死すれば人は皆器が急に大きくなったりするが、この人は生前からまさしくそうであった。
 夕べ東京に降った雪がたいしたことがなく、朝晴れたのは、帝国ホテルに集まる大勢の老人への天上からの気くばりに違いない。享年八六。合掌。

  寒明けや気くばりボスのお別れ会  
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大塚操君逝く(折り句) [追悼句]

2006年6月
 同期生平井君に続き大塚君を失った。淋しい。宇都宮大学出身、小柄で気持ちの良い男であった。
 ゴルフを最後にした時、まだまだ元気で「また、やりたいね。」と言っていたことを良く覚えている。

   大雨や角の眼瞑れかたつむり

   おおあめやつののめつむれかたつむり
の方が味があるか。
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稲葉精次さん追悼句(折り句) [追悼句]

2005年  
 稲葉さんとは、静岡と東京でいっしょに働いた。二年先輩になる。体が大きいわりに恥ずかしがり屋のようにいつもにこにこしていた。
 横浜の住まいでマンションの名前は「横浜シティタワー馬車通」であった。



急ぎ足ななかまど散る馬車通り
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祐ちゃんのお父上のご逝去を悼み 故園横枕 [追悼句]

2005年4月  
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 疎開してそのまま高校まで育った栃木県那須郡烏山町横枕は母の実家である。
 横枕は古い地名と聞いたことがある。川が流れ下流は小木須川。那珂川の一支流である。
 高校卒業以来数回しか帰っていないが懐かしい土地、文字通りの故園である。母の実家は横枕の上(かみ)、三斗蒔に近い方で屋号を竹の入りと言った。小学校へ通う途中、下(しも)の方に祐ちゃんの家はあった。祐ちゃんは高校生まで同級生である。小学校の時も学校の行き帰り、良く祐ちゃんの家で遊んだ。
 温和な顔でいつも見ていてくれたお父上の顔を今でも思い出す。

  故郷の友の父逝く竹の秋

 誰でも幼いときの黄金の日々を持っている。小学校や中学校までの道順を今でも思い出すことができる。かぎりなく懐かしく切ない。


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亡き友 平井 隆君追悼句 [追悼句]

 ビジネスマンであり歌人であった畏友を亡くした。我が同期生では白面の貴公子然としていた。 
 仕事をするだけで精一杯であったので残念ながら彼の短歌を知らない。評判では素晴らしい歌を詠んだという。生前もっと話し、出来れば歌も教わっておけばと悔やまれる。

 ひとりだけ蘭の花好き今もなお

ほかに
 柊や乱調の詩いま流れ     
 これより掲句のほうが好きだ。

折り句は五七五の頭にひらいを詠みこむが制限されると詠みやすいという変なことになる。そもそも俳句そのものが制限されているのに誰にでもとっつきやすいとのと似ている。
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タグ: 貴公子
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