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令和六年甲辰(きのえたつ)歳旦三つ物 [連句]

2024
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発句 七巡の 龍の字躍る年賀状

脇  フォント明朝老いの春なり

第三 AIの描く 未来は燦めきて

 今年はなんと歳男である。むかし会社の先輩のAさんがOB会報の近況報告で七回目の干支だと明かしたとき、自分より12歳年上だったその先輩の顔を思い出してすごいな、しかし、まだ自分には先のことだな、と考えたのを何故か鮮烈に覚えている。しかしあっという間に自分にもその時が来た。

 そこで、これを歳旦三つ物にした。 結論から言えば、十一月いっぱい苦吟(?)したのにもかかわらず、その割に不出来であった。昨年の「鉄ちゃんの出雲の夜行」の三つ物の方が数段上だと思う。

 発句は「七巡」でまず悩む。七回目、七周と詠めば分かるのか。誰にも分かる良いことばが思いつかない。84歳は数え年だが、生まれた年が辰年だから厳密には八回目の辰年ということになる。八回目の干支も末広がりで良いものだが7[×]?12=84なので、ここは七を使いたいので耳慣れぬ「七巡」にした。多分これでは読む人は84歳と気付いてくれないだろう。

 少しでも助けになるかと脇に「老いの春」と入れた。本当は同じ新春の季語「おらが春」としたかった。脇は年賀状はpc印刷なのでフォント明朝とし、流麗体などを付けたかったが、季語新春を入れねばならぬ。

 なお、発句の初案は年賀状でなく吉書(書初め)だった。したがって龍一文字が跳ねて面白いのだが、どうしても脇から第三へ繋がらない。凧(いかのぼり)の龍も面白そうだが冬の季語になるので諦めた。

 第三はもっと悩んだ。発句、脇から大きく離れて、めでたいことを詠みたいところである。

 脇のフォントからAIを想起して、そのAIに何をやらせるか。和平案受諾?、停戦案受け容れ?初恋指南?などと迷走して果てしが無い。

 つまるところ、わかりやすい未来図を描かせた。めでたいものとするには、燦めかせるしかないが、AIは正直なので燦く未来を描いてくれるか、昨今の内外の情勢を見れば不安なしとしない。

 そんなこんなで、11月中つらつらと主に寝床で考えた今年の三つ物、は完成したもののイマイチである。

 初めて三つ物を始めたのは2004年頃だと思うので、もう20年ほどになる。自己流で始めたので進歩がないのはやむを得ないが、一人遊びとしては楽しいものだ。

 例によって年賀状に添えたが、良い龍の絵が描けず、以前描いた猫の絵を使った。龍の絵を描く元気が出なかったのである。これだけでは何やら寂しいので、これもむかし描いたオスカー・ココシュカの水彩画「クレソン瓶の百日草」の模写を付け加えた。 七巡の辰と猫とココシュカは何の繋がりもない。付いていない。およそ連句的では無いはちゃめちゃの年賀状になった。

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2023年の俳句のことなど [俳句]

2023
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 俳句や戯れ歌に限っても2023年は不作の年であった。体調悪く、したがって「心調」も悪い日々を過ごしたが、加えて長い猛暑と一転した酷寒に苛まれて余裕が無かったのである。

 そのためブログ俳句集「アンソロ爺 はっくしょん」は閑古鳥が鳴いた。

 何もしないのはいかにもまずいと、5月から岸田秀再読を始めた。氏の唯幻論は、難しい理屈だが、文章は分かりやすいので、読書感想ブログは40記事にも達した。

 およそ575や57577の世界からはかけ離れた日々だった。

 壊れたか 猫の本能恋忘れ 

 本能の 壊れて猫の恋忘れ

 本能は 壊れぬ証し猫の恋  6月

 読了の唯幻論や半夏生 7月

 夏風邪や 無我と我執を往き来して 8月

 寡作でしかも我ながら出来も悪い。

 なお、同じ理由で水彩画ブログも同様の状態(閑古鳥)で年末を迎えたが、こちらは12月になってアプリ(お絵描きソフト)のねこ絵(Study )を10枚ほど描いた。上掲はそのうちの一枚。それまでほとんど何も描いていない。ほぼ1年近くに及ぶ無筆で、これは初めてのことである。

 俳句・川柳もどき、短歌・戯れ歌、水彩画は20年以上に及ぶ一人遊びだが、これすらだんだんとしんどくなる。歳をとるということはこういうことか。


 

 

 



 



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