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「ほんのいっときの愉しみ」 [雑感・随想]

 連句と俳句では、作るときの脳の働きで見ると使っている部分が違うという説がある。
 俳句は好きだが連句は・・・という人の論か。しかし短歌と俳句ではどうかと考えてみるとこの議論はあまり意味は無いような気もする。
 俳句のなかにも「付き」がある。自分が一人で付ける。連句は他人の句に付ける、その相違の方が重要なように思う。言い換えれば、俳句は句会でのゆるやかな座の文芸、連句は同じ座の文芸でも直接他人の句にぶつけるという相違だ。
 俳句にもルールがあるように、連句にもルールがある。式目と言われる。俳句もそうであるように連句もきまり・式目に余り捉われると面白くない。連句は俳句と違って、そこに他人との折り合いが必要になるが。
 連句はやっている時が最高に楽しく、終われば反故の山だと言ったのは芭蕉であるが、一方で一直(歌仙を巻いたあとの手直し)だけでなく出来あがったあともかなり芭蕉は推敲したらしい。確かに、あとで読み返すと巻いた本人には、そのときの状況が蘇えってきて懐かしい気分になるが、第三者が読めばなんだこりゃという感じがある。
 さて、詩人高橋順子に「連句のたのしみ」という本がある。「とくとく歌仙」、「浅酌歌仙」、などとともに、数は少ないがいくつかある連句の本のなかで面白かったもののひとつである。この題名の顰にならい、この連句帖の題名をほんのいっときだった愉しみに終わらせてしまい、残念な思いをこめて「ほんのいっときの愉しみ」と名付けた。(2010年4月記)



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平成二十年戌子歳旦三つ物 [祝い事]

平成二十年戌子歳旦三つ物

   発句  楽老の嫁が君ゐる厨かな   嫁が君・正月に現れる鼠のこと
   脇   船絵枕に茄子の初夢
   第三   汝れともにこの一日をいとしみて

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 楽老は、造語。楽老ねずみが台所で初夢に見たなすびをどう料理しようかと考えている。そしてフライパンに映った自分の顔をつくづく年老いたなと眺めている。

 さて、この絵を見て何人の方が作者の意図を読みとって下さるだろうか。
 宝船の絵に七福神を描いて枕の下に置いて寝ると良い初夢を見るという。一富士、二鷹、三なすび、が良い夢とされるが、つつましく三番目にしたところがみそ。

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独吟半歌仙 図書館の巻 [旅]

 図書館の巻
発句    図書館の冷房効きて台湾史
脇    冷やし中華で決める旅先
第三    台北の土鍋ふかひれ舌焼きて
四    水遣るたびに香草匂う
五    賑わいの士林夜市無月なり
六 端折 蓮の実つまみ啜るウーロン
裏一 折立 秋立つやお御籤を引く龍山寺
二    孔子廟にて学生祈る
三    小姐の足裏押しの心地よき   小姐・シャオチェ 若い女性のこと
四    福の字刻した指輪煌めく
五    清朝の流転の秘宝幾千里
六    草原走る蒼き狼
七    山腹の故宮を照らす冬の月
八    あっと息のむ翡翠白菜
九    総統の衛兵若く凛として
 十    客家故郷は波濤の彼方    客家・漢族の「名門貴族」の子孫

十一    木蓮と並んで咲くや花こぶし
挙句    美島再見春惜しみつつ      美島・台湾のこと

 これも発句と第三が観音開き。「台北の土鍋」を「飯店の」にすればよかったのか。他にもある。舞台が中国、モンゴルまで広がったのが救い。
 木蓮とこぶしを並べたがどちらが中国でどちらが台湾か。

 台湾史を勉強したり一国二制度などの問題を考えるためでなく、純粋に観光で訪れた台湾はとても楽しく、食べ物は美味しかった。狙い目の鱶鰭料理は格別だったが、欠点は値段が高いこと。台湾まででかける必要は全くなかった。

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三つ物 夏狂言  [動物]

 2004年夏
  発句  夏狂言検察控訴断念
   脇  天知る地知る炎帝の知る         炎帝・夏の異称
  第三  田沢湖のプルシャンブルー石斑魚群れ 
 
 同僚が、部下に「上司の指示があってやった」と言われて、詐欺の疑いで起訴された。結果は無罪。その知らせを秋田の宿で聞いた。
 石斑魚(うぐい、鯎)は俳句では春の季語。ここは雑(ぞう・無季)の句で良いのだが。

 田沢湖は酸性が強く、うぐいだけが奇跡的に棲息できたという。

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独吟半歌仙 日枝神社の巻 [神祇釈教]

 日枝神社の巻

発句    日枝神社汗と賽銭放り投げ    日枝山王様は近江(淡海)の出。
脇     遅刻坂いく夏学帽子  神社の隣は日比谷高校 門までの坂がきつい。
第三    NHKニュース背景お濠にて

四    署名呼び掛け銀座街頭
五    韓流の演歌哀調赤い月
六 端折 団地の庭に曼珠紗華咲く

裏一 折立 秋澄みて在来工法上棟す
二    ヒマラヤ杉にへら鹿走る 

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  三    碧眼の五輪柔道みだれ髪
  四    賑やかお侠ゃん今宵しとやか
  五    お互いに騙されたとて五十年
  六    曲江詩謂う古来稀なり
  七    寒月に老懶暮らし見透かされ
 八    寝巻に着替え夜噺せがむ
 九    懐かしき調べ麗しシェラザード
 十    小澤征爾を頭から浴び

十一    うらうらと浄瑠璃寺への花の道

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挙句    湖は朧の紫香楽の宮


夕涼みの巻のあとに巻いた独吟半歌仙。発句は、後に子規によって独立して俳句となることでも分かるように、丈高く続く句を引っ張っていく力を持っていなければならない。
発句に制限はないとするが、普通「神祇釈教」は詠まない。
第三は大きく転換することが期待されるが、日比谷の遅刻坂と皇居のお濠では距離的にも近い。
銀座街頭の署名運動は拉致問題。
へら鹿の疾走から五輪を連想したつもりなれど少し無理があるか。恋の句は普通二句続けるが前後の 恋の呼び出し、恋離れが難しい。が、これも楽しい。
むかし浄瑠璃寺へ一人で行ったことがある。花の季節でなく、夏であった。缶ビールがおいしかったことを想い出した。前の句に何を付けようかと考えていると、ふだん考えていることが、ふっと出てきたり、昔のことなどを想いだしたりする。これも楽しい。

しがらき宮は滋賀近江の琵琶湖の近くにあったという。



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独吟半歌仙 冬着詰めの巻 [旅]

 冬着詰めの巻
 発句    冬着詰め鞄膨らむコナ空港
  脇    時雨暖か「はにかみ」の山  
 第三   船酔いや鯨まぼろし潮吹きて
  四    時差ぼけ癒えず居睡りばかり
  五    月面を歩む心地やキラウエア   
  六 端折 火神の髪にレフア冠       

 裏一 折立 野生化すシュガーケーンの穂は揺れて
  ニ    遥かに消えた移民の野望
  三    甲羅干し双乳は砂に潰れけり
  四    オイル塗る手を軽く叩かれ
  五    島巡りガイドの美声アロハオエ
  六    カヌーの舳先蛸の彫刻     
  七    津波禍の心に懸かる夏の月
  八    暑さに負けてワイン控えめ
  九    酣のディナークルーズフラダンス
  十    頬を撫でゆく南風の爽やか
 十一    緋桜や冠雪高きマウナケア

 挙句    島の浴衣は花衣なり
これは、観音開きを少し免れている。ホエールウオッチングでは、鯨は遠くて良く見えずまぼろしの如くであった。常夏のハワイでは、季語が実態と合わないので苦労する。
冬のハワイ行は、成田までが寒く自然ハワイに着いたときは、夏着に着替えるので鞄が膨らむことになる(発句)。島の緋桜の花見は、きっと浴衣になろう。花衣だ(挙句)。
偶然だが、発句と挙句が同じ「衣服」で呼応して付いた。
本などによればかならず呼応しなくとも良いと書いてあるが、なんとなくうれしい。

はにかみ山・何時も雲がかかって山頂が見えないのでついた山のあだ名。ハワイ島にある。
キラウエア・ハワイ島の火山。カルデラ、クレーターが月面のよう。
レフア・オヒヤの木(ハワイ州の木)に咲く花がレフア


カヌーの舳先には種々の彫り物が刻まれているが蛸は珍しい。
緋桜・寒緋桜のこと。正月桜、沖縄桜とも。
マウナケア・ハワイ島では最も高い(4205m)山


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独吟半歌仙 東京に野分の巻 [旅]

 東京に野分の巻
 発句    東京に野分来たりてソウル晴れ
  脇    アンニョンハセョ海東の月   海東・韓国の別称扶余・昔の百済

 第三    いにしえの韓の金風頬吹きて

  四    久方ぶりの親子三人
  五    冬ざれの扶余の青年テンギモリ  テンギモ リ・ポニーテールのよ
うに後ろで束ねた 昔のちょん髷

  六 端折 春待つ新羅奈良里に似て     新羅・今の慶州。
 裏一 折立 秋澄みて魚鐸あでやか海印寺
  ニ    韓式風呂で眼が合う露人
  三    昌徳宮ガイドのアガシ酔芙蓉  アガシ・お嬢さん   
  四    敬語正しきチマチョゴリなり
  五    魚市の小蛸釜山の雨に逃げ
  六    キムチ肴に眞露酌む夜
  七    十字架の赤きネオンや夏の月
  八    船遊びにて落花岩観る    落花岩・白村江の戦いで三千人の官女が河へ身を投げたという。                  
  九    ハルモニの絵葉書売りや石窟庵   ハルモニ・おばあさん 
  十    平安を呼ぶ半島の蝶
 十一    バスの窓槿花毎朝青瓦台
        槿花一朝という言葉はある。槿花毎朝は無い。槿は毎朝次々と花をつける。造語。

  挙句    天気図動き二都に春来る




 旅の半歌仙を独吟でやってみた。案の定、うまくいかない。つい観音開きになる。つまり前々句にも付いてしまう。テーマが旅だからやむをえないのか、やりようがあるのか分からない。
 それを無視して、韓国、台湾、ハワイと三巻も巻いてしまった。芭蕉のいうところの、一歩も後に帰る心なし、ただ先へ行く心なればなり」という連句の基本をはずれている。
 はじめての韓国はなぜかどこもかしこもなつかしい感じがした。その感覚を連句でも愉しんだことにして、それで良しとしたい。

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三つ物 [祝い事]

平成十七年 乙酉歳旦三つ物
  発句  五十肩消えて弾き初めバイオリン
   脇  いよよ華やぐ老いの春なり         老いの春・新年の季語
  第三  挙式せん山笑う頃穂高にて

     三つ物のなにやら嬉し年賀状    晴坊
      心新たに立ちし元朝
     還暦をすぎて始めることありて

三つ物
発句  夕涼み豪腕将棋負けがこみ
脇  誕生祝に冷たいシャブリ
第三  どちら似ぞ初孫出来た夢を見て

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 三つ物とはお祝いや正月などめでたいときに詠むものと、物の本にある。
 さっそく平成十七年歳旦三つ物をつくり、年賀状に添えた。すると思いがけず晴坊さんから返歌メールが届いた。三つ物の何やら嬉し年賀状・・・と。ほんとうに還暦もかなり過ぎて連句なるものを初めて知ることとなったが、もっと早くこの愉しみをもてたら良かったとつくづく思う。

 夕涼みの三つ物は、「夕涼みの巻」の初案。豪腕将棋は将棋ソフトの名前。一人でも遊べる。しかし、第三者には、何のことかわからないだろう。「冷たいシャブリ」の脇も気に入っていて、惜しかったがボツにした。「酒」は、「神祇釈教」もでもあるが、普通第三までに歌わないのだそうだ。
結局、前掲のとおりに変えた。

夕涼み作務衣のなじむ歳となり
誕生祝い贈る籐椅子
どちら似ぞ初孫出来た夢覚めて


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半歌仙「夕涼みの巻」 [季節]

  
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      半歌仙「夕涼みの巻」

発句    夕涼み作務衣のなじむ歳となり   俊
脇     誕生祝い贈る籐椅子        俊
第三    どちら似ぞ初孫出来た夢覚めて   俊

四    鏡に向かい小さく頷く      晴坊
五    遠き日やアリスの冒険魔女の月   俊
六 端折 箒立てればくる赤とんぼ     晴坊

裏一 折立 聚遠亭龍野は暮れて秋深し     俊
二    美作までの最終列車       晴坊
三    五日後の歌劇の切符二枚買い    俊
四    あれよあれよの華燭の宴      俊
五    母親が気付き早めの水天宮    晴坊
六    津々浦々に平家伝説        俊
七    寒の月隠し砦を覗きをり     晴坊
八    どんぐり探し雪を掘る栗鼠     俊
九    オーロラに観測隊も舞い上がり  晴坊
十    農協本店旗翻る          俊

十一    万人は一人のために花の束    晴坊

挙句    国士無双であがる春宵       俊

「発句で、ある年齢に達した人物が、夏の夕涼みから秋冬と旅をして、夢をみて、運にも恵まれて国士無双をあがるという、これからの楽しみにもつながる春の宵を迎えている・・・。連句は、ここまで詠み込む必要はないのでしょうが、こう詠んでもさしつかえない展開です。」満尾を迎えたときに捌人・岡田宗匠がまとめてくれたいわば総評である。満尾というのは、歌仙の終了のこと、捌人とは、歌仙を巻くときのリーダーと教えて貰った。
 実は、挙句をまかされて、初案「九連宝燈(チューレンパオトウ)あがる春宵」のほうが萬子(まんず)ばかりなので前句(万人は・・)との付きが良いのではないかと悩んで相談したとき、国士無双のほうがおおらかでよい教えてくれたうえで、上記の総評をしてくれたのである。
今考えるとたしかにチューレンパオトウでは、付き過ぎであろう。この「付く、離れる」はなかなかどうして難しくまた、付けるものはたくさんあり、どれを付けたかで次の展開が変わる。そこがまた面白味であろう。
 自分を詠むか、他人を詠むか。場所を詠むか、千差万別捉えどころがない。式目で季節、花、月の座、恋などを決めてあるのが手掛かりではある。しかも全体で序、破急もあってバランスもそれなりになければ、とは・・!
難儀なことではある。
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はじめての連句 [雑感・随想]

 はじめての連句は平成十六年夏。図書館で借りてきた一冊の本がきっかけだった。「連句で遊ぼう」(水沢 周・新曜社)がその本。半分くらい読んだところで面白そうなので先輩の岡田さんにメール韻文のお付き合いをお願いした。岡田さんが連句に詳しいことを聞いていたのだ。その結果出来たのが「夕涼みの巻」である。
 珍しく直感が当たって、連句(俳諧)の入り口だけ覗いただけだったが確かに連句は面白かった。また、俳句との違いなども少し分かって、得るところも大きかったような気がする。
 ただ、残念なことに岡田さんが平成十八年十二月急逝され、その後連句をやる機会はなかったので短期間の愉しみに終わってしまった。
 この間、独吟や三つ物などひとりでできることをいくつか試みた。それを拾い集めたのがこの連句帖だが、やはり気心の知れた複数のなかま(連衆)が集まり、歌仙を巻くのが連句の真の醍醐味のようだ。また、周知のように歌仙は長短句三十六句、半歌仙は半分の十八句。三十六歌仙を巻く機会がなかったのが、思い出すたびに悔やまれる。そのことだけがかえすがえすも残念である。

 このときの経緯などを記録したのが、「はじめての連句 晴坊さんを偲んで」だ。やや長文ながらアップして置きたい。

                                       
    半歌仙「夕涼みの巻」

発句    夕涼み作務衣のなじむ歳となり   俊
脇    誕生祝い贈る籐椅子         俊
第三    どちら似ぞ初孫出来た夢覚めて   俊

四    鏡に向かい小さく頷く       晴坊
五    遠き日やアリスの冒険魔女の月    俊
六    箒立てればくる赤とんぼ      晴坊

裏一    聚遠亭龍野は暮れて秋深し     俊
二    美作までの最終列車        晴坊
三    五日後の歌劇の切符二枚買い     俊
四    あれよあれよの華燭の宴       俊
五    母親が気付き早めの水天宮     晴坊
六    津々浦々に平家伝説         俊
七    寒の月隠し砦を覗きをり      晴坊
八    どんぐり探し雪を掘る栗鼠      俊
九    オーロラに観測隊も舞い上がり   晴坊
十    農協本店旗翻る           俊
十一    万人は一人のために花の束     晴坊

挙句    国士無双であがる春宵       俊
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 2006年12月、畏敬する岡田晴彦さんが急逝された。
 岡田さんとの楽しい思い出を持っておられる方は多いと思う。訃報を聞いて悲しみに打ちひしがれたのは、私だけではない。
 私も、岡田先輩との良い思い出を沢山もっている。その一つが教えて貰った連句である。冒頭の両吟半歌仙は、晴坊こと岡田さんにご指導頂きながらはじめて二人で巻いたもの。残念ながら、その後巻く機会がなく、最初で最後になってしまった。
 連句は、第三者が読んでもふむふむといった具合でおよそ感興が沸かないものだが、作った本人にとっては一句ごとに懐かしさが詰まっていて、読み直すと作った時の雰囲気や気分、相手の反応までがまざまざと甦ってきて胸が一杯になる。

 ある夏の暑いさなかに、図書館でたまたま連句の本を借りてきた。半分くらいまで読んで、これは面白そうだなと思ったときに、岡田さんが俳句だけでなく連句もなさるということを思い出した。すぐに、そうだ岡田さんに教えてもらおうと考えた。少なくとも本を一冊読み終えてからにするのがまっとうな大人のやることだが、すぐに口に出してしまうのが悪い癖だ。分かっているのだがいくつになっても治らない。
 御願いしたあと、最近はメール韻というものがあるとその本に書いてあったので、すぐ、メールを打つ。岡田さんにしてみれば迷惑メールだ。受け取った落語家は洒落て気が滅入ると言ったに違いない。

Eメール(以下m)八月三日「ご教示御願い」 俊
 俳句を理解するには連句を知らねばと何かで読みましたので、「連句で遊ぼう」水沢 周(新曜社)を図書館で借りてきました。まだ読了しておりませんが、初めてルールを知りました。なかなか面白そうです。三つ物は祝儀ものと教わり、早速作ってみました
発句   夕涼み豪腕将棋負けがこみ
脇    誕生祝に冷たいシャブリ
第三   どちら似ぞ初孫出来た夢を見て
 このあとの四句(短句)と出来ますれば五(長句)を付けて頂きたくお願い申し上げます。どうも前の句から「離れる」や「付かず」と言う感じが実感として分かりません。

 これが、私からの最初の御願いメール。「三つ物」とは、正月やお祝いのときに詠む発句から三句目までのもの。これから連句をスタートするというのは、むろんインチキである。周知のように連句・俳諧の「発句」は独立してのちに俳句となるものであり、歌仙(三十六句)でも、半歌仙(十八句)でも以下の句を最後の挙句まで引っ張っていかなければならない。従って発句は、丈高く、大きく、客人の挨拶として詠む。二句目の「脇」は、発句に添いおだやかにホストが客人の挨拶に返す。「第三」は、この二つから大きく転じて気分を変えて連句は始まる。と、ものの本には書いてある。
 晴坊氏はそんなことは承知のうえで、何も言わず次のメールを返信してくださる。
 なお、連句は長句(五七五)と短句(七七)を前の句に付けて交互に詠み続ける。独吟というのもあるが、詠み手(連衆)は、二人(両吟)以上・複数が面白いとされる。
 私の発句の「豪腕将棋」には、説明が要る。誕生日に子供が買ってくれた将棋のソフトの名前である。

m 八月六日「返信・ご教示御願い」 晴坊
添付ファイルを開けて、四句目として、イとロの二句を作ってみました。どちらかお選びいただき、五句目は貴方のほうで付けてください。
 イ  鏡に向かい小さく頷く        晴坊
 ロ  天気予報は明日晴という        晴坊
 
 私は、「天気予報」の方が前句から転じて面白いのかも知れないとも思ったが、何やら「鏡に向かい小さく頷く」の方が意味ありげな気がして、イを選択した。

m 八月十日「連句のおけいこについて」 俊
暑いさなかですし、連句モードになかなかなれないかもしれませんが、ぜひ小生の勉強のためと思ってお付き合いのほどあらためてお願い申し上げます。
 二冊目の連句の本「とくとく歌仙」大岡信、丸谷才一、高橋治、井上ひさし(文藝春秋)を読みましたら相当奥の深いものと知りました。二句を複線(仙?)で巻くなぞとんでもない話です。ゴルフでいえばビギナーがバックから打つようなものです。誠に失礼しました。

 実は、気安く三つ物を二つ作ってご指導を御願いした。岡田宗匠から二つはきついといわれた。厚顔の私でもさすがに一つを諦めた。ことほどさように連句の何物かも知らず始めたのである。

m 八月十一日「返信・連句のおけいこについて」 晴坊
 岡田です。半歌仙、一句に絞っていただき恐縮です。では、「夕涼み」の句をご一緒に勉強しながら、巻いていきましょう。
  四句     鏡に向かい小さく頷く      晴坊
  五句    遠き日やアリスの冒険魔女の月   俊
  六句    箒立てればくる赤とんぼ      晴
 次は、裏の一句目 「折立(おったて)」です。季節は秋で続けてみてください。
 連句の式目(ルール)について、正確な知識はありませんが、とりあえず、一定のルールに基づいて巻いてみませんか? 私の手元にある「連句構成表」に依りましょう。せっかくの機会ですので、わたしも勉強させてもらいます。

 夢で見た孫の顔は、俺か妻かどちら似だったかと思い出そうとしているのはまだ孫のない初老の男。その男は夢から覚めて自分の顔を鏡を見ながら、何やら頷いていると晴坊氏が付けた。続く五句は月の座。鏡から「鏡よ鏡よ」という魔女を連想して私が昔読んだ童話のことを。付けたが、今となってみるとアリスと魔女で恋の句になっている。「遠き日やニルスの冒険昼の月」とでもすべきところか。晴坊さん、何もおっしゃらず六句で魔女から赤とんぼがとまる箒を童話風に詠まれた。
 連句では、季語のある句と季語のない句(雑の句という。)の位置がほぼ決まっている。夕涼みの巻は、発句が当季・夏なので脇も夏。第三は雑の句である。月の座、花の座も定められていて、そこでは、月と花(桜)を必ず詠まねばならない。
 ここまでは、一見順調な運びだ。なお、半歌仙では、最初の六句までを表といい、後半を裏と呼ぶ。裏の最初を折立という。表の最後つまり六句を端折という。連句を二つに折って紙に書き付けたことからくる句の別称。表前半は穏やかに、後半は恋の句なども入れて、奔放に愉しく、華やかな挙句まで詠むのが良いとされている。

m 八月十一日「半歌仙ありがとうございます」 俊
岡田様 お付き合いいただけることを感謝しております。裏一を作ってみました。
     六句 端折  箒立てればくる赤とんぼ      晴坊
裏一句 折立  蔵元に嫁ぐ姫あり龍野城         俊 イ
ほかに候補として
夕焼けや露風の詩を口ずさみ      ロ
聚遠亭竜野は暮れて秋深し       ハ
イは恋の句になることと蔵元(または最初考えた大関)が季語になるか?時代が移る良さはあるのですが。ロは発句の夕涼みの「夕」と重なることが難。竜野は、赤とんぼの三木露風の出身地です。ハは「隣は何をする人ぞ」を思いおこすこと。聚遠亭は竜野城主脇坂氏の別邸の名前です。捌人のご指導を頂ければ嬉しいです。

 酒造会社大関の社長の奥様は、竜野城主の姫君であると聞いたことがあり、イの句が出来た。ここは、秋の句となるところだが季語がない。嫁ぐ姫では恋の句でもあり無茶苦茶である。捌き人とは、連句の座を取り仕切る人である。この場合、当然晴坊氏となる。捌き人はロの「聚遠亭竜野は暮れて秋深し」を採択された。私へのサービスである。

m 八月十三日「返信・半歌仙ありがとうございます」 晴坊
 岡田です。裏二の句を 三とおり付けてみました。どれか一つ選んで、進めてください。なお、わたしは来週前半までは、在宅の予定です。
 六句   箒立てればくる赤とんぼ      晴坊
裏一句   聚遠亭竜野は暮れて秋深し     俊
 二句   駕籠が一丁門前に着く         イ
      煮物つくるか醤油のにおい       ロ
      美作までの最終列車           ハ
蛇足 イ 播州赤穂から早駕籠が・・・
   ロ 竜野といえば醤油の産地(ヒガシマル)
   ハ わが父は、美作勝山の産にして、今日はお盆の十三日。
 姫新線は、姫路発 竜野を通って、津山を過ぎれば、山から終点新見まで山の中・・・
 次から恋の句を出すところですが、三句、四句とつづけていかがですか? 五七五、七七で、あとは脇坂さんに七七をつけていただく、ということですが・・・

 蛇足は、初心者にはありがたい。しかし恋の句二句は初心者にはきつい。私は、まる三日間悩やむこととなる。なお、美作は晴坊氏の父君の縁ある地であるが、最終列車はどことなく恋の予感がする。これは、次の句に恋をという「恋の呼び出し」でもある。晴坊氏の冴えである。

m 八月十六日「裏三、裏四句について」 俊
岡田様 裏ニ句ありがとうございました。三句とも味あいのある良句ですので迷いましたが、ハ「美作までの最終列車」をいただき付けてみました。
裏ニ句   美作までの最終列車           晴坊
三句   五日後のオペラのチケット二枚買い     俊
四句   にわか勉強検索サイト           俊
なお、練習のため頂いたほかの句にも付けて見ました。
裏ニ   煮物つくるか醤油のにおい        晴坊
三   白檀やチャイナスリット眼を逸らし     俊
四   ツアーネームは二人の蘇州         俊
裏ニ   駕籠が一丁門前に着く          晴坊
三   御所を出た姫道中は木曽路行く       俊
四   母となりたるじゃじゃ馬の笑み       俊
 付けて見ると、また「付かず、離れず」が分からなくなりました。恋の句なので観音開きにはなっていないとは思うのですが。転じようとしつつ付き過ぎの傾向のようです。まことに難しいですね。裏五をぜひお願いします。夏休み優先にてゆっくりお願い申し上げます。

 観音開きというのは、前句の一つ前の句に付いてしまうことを言い、後ろに戻ることを最も嫌う連句では、禁忌とされる。

m 八月十七日「返信・裏三・裏四句について」 晴坊
 岡田です。裏の三、四と、合わせて六句も付けていただき、創作意欲にタジタジです。
 五句目を付ける前に、質問です。
     ニ句   美作までの最終列車         晴坊
     三句   五日後のオペラのチケット二枚買い   俊
     四句   にわか勉強検索サイト         俊
 三句は、まことに結構な付け句です。お盆の帰省のまえに、五日後のオペラのチケットを買っておくという、日本の風習から、都会の芸術への転じ方はお見事。しかも、恋の句として、二枚用意したところが、完璧でしょう。
 四句は、オペラのにわか勉強かと思いますが・・・。恋の句は、二~三句つづけるというルールですので、二人で仲良く検索しているということか? なかなか恋の句には受け取れないので、お尋ねする次第です。

 なお、練習句のほうもなかなか良い付けです。なかでも、「チャイナスリット」は文句無し。「姫道中」も面白いが、駕籠・道中・馬と乗り物に付き過ぎている感じです。
 では、ご返事を待って、五句目を付けます。

 晴坊さんは、誉め上手である。しかしながら、うかつに木に登ってはならない。チャイナスリットはよいとして続く「ツアーネームは二人の蘇州」は、誰が見ても付き過ぎ。姫道中」は、駕籠と馬で観音開きだ。

m 八月十八日「ご指導ありがとうございます」 俊
 岡田様 暑いのに恐縮です。
「にわか勉強検索サイト」は観劇の日まで間があるので、彼女にいいところ見せようとオペラの予備知識を得ようとして、せっせとググっているさまを詠んだつもりでしたが、一人よがりでした。かわりに
ニ句   美作までの最終列車              晴坊
三句   五日後のオペラのチケット二枚買い        俊
四句   (イ)一月前には見知らぬ同士 と
     (ロ)一気呵成にウェディングマーチ を作りました。
「先へ行きて戻らず」などからすると、(ロ)の方が良いと思いますが、ハッピーエンドでは次の恋又は恋の離れ句が詠みにくいと、考えて
       (ハ)電撃発表婚約指輪
も作って見ましたが、やはり(ロ)が自分としては良いような気がします。ご指南かたお願い致します。なお、練習句「母となりたるじゃじゃ馬の笑み」についてはご指摘のとおりです。当初「母となりたる妃殿下の笑み」としたのですが、これじゃ前句と同じ「姫」だと気づき、直しました。じゃじゃ馬娘のことなので良いのではと思ったのですが、連句では意味だけでなく字面でもだめのようですね。勉強になりました。
 また、暑くなって来ました。小生一人楽しんでやっておりますが、決して急いでいるわけではありませんので、どうぞゆっくりでお願い致します

 連句の基本は、「先へ行きて戻らず」。これだけ守れば多少の式目ルール違反は気にしなくて良いようだ。つまりオペラのデートのあと、婚約、結婚式へとまっしぐらが良い。

m 八月二十四日「返信・ご指導ありがとうございます」 晴坊
 岡田です。にわかづくりの句を少し整理してみました。恐縮ですが、このなかのどれかに、七七と付けてください。
   四句     一気呵成にウェディングマーチ      俊
   五句  イ  星条旗永遠ならず熱砂の地        晴坊
       ロ  突っ張りを軽くいなして勝ち名乗り    晴坊
       ハ  苦労してやっと見つけた東慶寺         晴坊
       ニ  グァムから淋しく戻る成田かな      晴坊
       ホ  起算日がついて早めの水天宮             晴坊

 晴坊さんの付け句は、さらりと詠まれているが、どれも意味深長。あとの人はそれだけイメージが膨らんで、付け易い。東慶寺は、ご存知駆けこみ寺。歴史、時事、人情などが詠まれ、それぞれが四句に見事に付いている。

m 八月二十五日「五句に付けて見ました」 俊
 岡田様 先日は失礼しました。ご教授、感謝申し上げます。
 早速に五句を5句も頂きありがとうございました。いずれも良句と存じます。それにしても短句をあっという間に長句にされたのには吃驚しました。練習のため全部に付けてみました。
四句     一気呵成にウェディングマーチ     俊
五句 イ   星条旗永遠ならず熱砂の地      晴坊
       一つの国に一つの正義         俊
  または、 兵士のタトゥはブロンディ       俊
  または、 兵士の腕のポパイが怒る        俊
  または、 まさかの敗退五輪の強者        俊
   ロ   突っ張りを軽くいなして勝ち名乗り  晴坊
       司馬遼好みモンゴルの空        俊
  または、 草原走る蒼き狼            俊
  または、 南蛮国から鉄砲伝来          俊
   ハ   苦労してやっと見つけた東慶寺    晴坊
       野鳥群れ飛ぶサンクチュアリ      俊
 または、 千姫炎上誰が助ける          俊
   ニ   グァムから淋しく戻る成田かな    晴坊
       凱歌あげたる一坪地主         俊
  または、 一坪地主の怨念消えず         俊
 ホ   起算日がついて早めの水天宮     晴坊
       津々浦々に平家伝説          俊
  または、 平家伝説落人の村           俊
  または、 バスク地方に隠れ里あり        俊
 小生としては、五句は恋離れより恋句のほうが良いかなと思うこと、その恋が破綻せず成就の方が良いこと、
 六句が大きく転じていること次の冬の月を読みやすいことなどといろいろ考えますがなかなか選択が難しくてギブアップです。とくに五句の恋離れの句も付けてみると捨て難い味があります。
 お捌きをばお願い出来るとあり難いのですが。如何でしょうか。

 晴坊さんのイとロは恋離れの句。ハ、二、ホは恋の句で、ハ、二は破綻、ホは出来ちゃった婚で恋の成就。連句の付けは千変万化、無数だ。しかもそのなかから選んだ句によってどこへ展開していくか、全く分からない。それが、面白いとも言えるが、どの句を選ぶかそれはセンスのようだ。

m 八月二十六日「返信・五句に付けて見ました」 晴坊
 脇坂さま  岡田です。先の先まで予習をされて、熱心さに感心しています。私の五句(五七五)をどれにするかですが、貴方の恋の始末と次へのつながりについての整理に即していえば、ロ(突っ張り)かホ(起算日)になると思います。恋の成就がいいということであれば、ホの「起算日」の句に付けてください。この条件を満たして、幸せになるのは、ホ(起算日) だけです。
 七句の冬の月は、なんとかしますので、あまり難しく考えなくて結構です。
 それとは別に、私の五つの句に付けられた貴方の七七を見て気がついたのですが、三句、四句にカタカナと数字がでているので、五句、六句に、カタカナ、数字が入るのは、見た目に煩瑣ですのでやめましょう。私の、ニ(グァム)も取り消します。
 あわせて、「水天宮」に「平家」は付きますか?平家が、水軍に強いとか、壇の浦など水に縁があるということでしょうか?

捌き人が選句してくれると、本当に助かる。パッと前が開けたような気がする。

m 8月二十九日「ありがとうございました」 俊
 岡田様 ご指導ありがとうございました。
 たしかに小生のはカタカナが多く煩瑣でした。俳句を(も)きちんとやっていないことが主因のような気がします。つい語彙が少ないためカタカナが出てしまいます。反省です。
 水天宮はもともと久留米で壇の浦の戦いで入水した安徳幼帝と徳子(建礼院)を祀つたのがはじまりだとのことです。日本橋水天宮は久留米藩主有馬氏が江戸の遥拝所としてつくったそうです。そこで「津々浦々に平家伝説」としました。津々浦々で水や海もあるしと思ったのですが、またまた一人よがりでした。かわりに練習で7句つくりました。
四句   一気呵成にウェディングマーチ  俊
五句   起算日がついて早めの水天宮  晴坊
六句
イ 少子化の世にうちは子沢山     俊
ロ 両脇かためるおとこ親ばか
ハ つわりはつらしまわりはうれし
ニ 勇み足にて負け越し決まる
ホ 読書に倦きて犬の耳折る
へ 珠の懐胎八犬伝読む
ト 食べ放題でも帯がきつくて
 多作でありますが多捨ならぬ全捨となりかねない駄句のような気がしてきました。
 小生としてはホ)が気にいっているのですが、戌の日の帯からの連想で離れ過ぎの感があること犬の耳折りというのが一般的でないことが難のようです。ハ)は病体で転じからすると良いのではないかと思っていますが如何でしょうか。
 なお、仰るとおり次の句のことは念頭から無くしました。
苦吟?して遅くなりました。メール中断の報が入りましたので間に合えばと送信しましたが、間に合わない時は火曜日にします。新機種導入おめでとうございます。

 苦吟といえば、聞こえが良いが、このあたり、「ロ両脇かためるおとこ親ばか」なぞは句意も不明で私は迷走を始めた感がある。晴れ坊さんは、パソコンの新機種導入で取り込み中とのこと。連句どころではないのかも知れないのに悠々としている。

m 八月二十九日「返信・ありがとうございました」 晴坊
 脇坂さま 岡田です。メールは三十一日までOKです。そこで、連句ですが、
1 水天宮の由来を教えていただきました。
 これも連句の楽しみであり、室町時代の「連歌」には、こういう「知識・教養」が大本にあったように思います。それを前提にした切磋琢磨があったのでしょう。わたしが、丸谷才一にかなわないと思いつつ、惹かれる所以です。故事来歴をふまえた付け句として大変素晴らしいと思います。私の知らないことへの質問で、折角の付句に水をさしたようです。わたしは、この句が最良と思いますが・・・
 せっかくですので、感想を書きます。
   ハ)つわりはつらしまわりはうれし
 病体の「転じ」については、貴方のおっしゃる通り。しかも、全部ひらがなで付けたのも趣向ですね。ただし、少し付き過ぎで、恋離れをしていません。
   ホ)読書に倦きて犬の耳折る
 離れ過ぎとはおもいませんが、たしかに、犬の耳折りというのは奇異な感じです。「犬と戯れ」ぐらいでしょうか。
すこし立ち入ったやりとりになりましたが、ここらで六句をお決めください。

 恋の句は、二句ないし三句が普通。つわり句は、女性のことなので恋の句が四句つづきとなってダメ。安産祈願の水天宮のあとつわりや勇み足は付きすぎでもある。詠んでいるときは、夢中で気がつかない。

m 八月三十日「七句おねがいします」 俊
 岡田様  機種変更のお取り込み中ご面倒をかけます。小生も離れ過ぎの感はありますが、それだけに転じてはいますので「津々浦々に平家伝説」が良いように思います。
 これにて裏七句をお願いいたします。(決して急ぎませんのでゆっくりお願いします。
 なお、練習句のうち「読書に倦きて犬の耳折る」ですが栞のかわりに本のページの片隅を折った状態をドッグイヤーというそうです。本に倦きてチョイと耳を折ると詠んだつもりでしたが、また、一人よがりでした。受けを狙う傾向が強いようです。また反省です。
 ついにオリンピックも終りましたので、また読書生活に戻ることになりそうです。では、よろしくお願い申し上げます。

 このあたりは、私の気がはやっているのがありあり。歌仙の経験豊富な晴坊さんは、パソコン新機種導入、メールアドレス変更中にもかかわらず冷静そのものだ。

m 九月二日「返信・七句おねがいします」 晴坊
 脇坂さま  岡田です。どうやらメールを再開できました。テストをかねて、連句を送ります。
六句       津々浦々に平家伝説        俊
七句   イ   密談の隠し砦に寒の月      晴坊
     ロ   赤旗を掲げし日々や冬の月    晴坊
 句の良し悪しは別として、恐縮ですが、メール到着の有無を、ご返信ください。では

 七句は月の定座。しかも冬の月。隠し砦はなにやら黒沢映画のシーン風。ロは、晴坊さんも同様に、デモに参加されたか。六十年安保闘争である。

m 九月二日「テストメール・祝メール再開通」 俊
 岡田様  新機種導入・メール再開おめでとうございます。七句早速ありがとうございました。八句付けてみました。
五句   起算日がついて早めの水天宮    晴坊
六句   津々浦々に平家伝説         俊
七句 イ)密談の隠し砦に寒の月       晴坊
    八句   どんぐり埋めて春を待つ栗鼠     俊
    または、 食糧貯めて春を待つ栗鼠       俊

七句ロ)赤旗を掲げし日々や冬の月         晴坊
     八句  代々木公園雪の降りつむ       俊
    または、 代々木駅知る雪の別れを       俊
 例によってどれにするか決めかねています。もう少し時間を下さい。取り急ぎメール無事到着のご返信・ご報告です。

m 九月三日「送信テスト」 俊
 岡田様  新アドレスにて送信してみました。余計なことかもしれませんが。
 付け句、仰るように言葉への連想句になっていました。俳句でいえば題詠でしょうか。特に小生のが多いです。これではたしかに味がありません。しかし匂い付け、面影付けは難しいですね。遣り句も別の意味で難しいです。

 付けには、いろいろある。一般的に言葉の連想句などは味がないようだ。宗匠は、やんわりと私の句が言葉に付ける傾向があることを指摘してくださった。匂い付け、面影付けなど句の雰囲気、気分などに付くのが良いとされると分かっているが難しい。
 遣り句というのが突然でてくるが、気分、場面を変えたりするときに,とくに意味をもたさずさらりと付ける句をいう。これが出来れば一人前と言われる。例えば、晴坊さんの表四句「鏡に向かい小さく頷く」、「天気予報は明日晴という」などはたいていのものに付き、しかもあとのひとは付け易い。私は、これは遣り句ではないかと勝手に解釈している。

m 九月四日「隠し砦につけました」 俊
 岡田様  ご指導ありがとうございます。涼しくなってきました。
七句二つとも面白い味の月の句ですが、「密談の隠し砦に寒の月」の方を頂きます。

六句 津々浦々に平家伝説     俊
七句 密談の隠し砦に寒の月   晴坊
八句
イ 食糧埋めて春を待つ栗鼠   俊
ロ 雑兵ひとり雑炊を炊く
ハ 腕を見込まれ北窓塞ぐ
ニ ものみの塔に淡雪が舞う
ホ 日本映画の春待つこころ
 匂い付けになることを意識してあれこれ迷いましたが、(イ)にしたいと思います。
 例により練習付け句です。
 赤旗を掲げし日々や冬の月    晴坊
イ 憂国忌街を軍歌走り抜け    俊
ロ 都電通りに木枯らしの吹く
ハ 代々木公園雪の降りつむ
ニ 鰤が売り切れ水針魚は残る
 赤旗に代々木では言葉からの連想そのもの。鰤は出世魚で「水針魚・細魚・サヨリ」は左寄り(左傾)売れ残りとは洒落にしかなりません、しかも細魚は春の季語でした。
 向かい付け?で憂国忌~が気に入っていますが、字余りとなり三島忌とすると憂国の雰囲気が消えてしまいます。難しいものですね。秋蒔き作業でお忙しいと存じますので、暇が出来ましたら九句をよろしくお願いします。

 私は自分の句を説明したりして、なお、迷走中である。宗匠に助けを求めている。
 晴坊さんは、野菜づくりの名手でもある。文字どおりの晴耕雨読で羨ましい。この季節は播種と収穫で農繁期である。

m 九月六日「返信・隠し砦につけました」 晴坊
 脇坂さま 連句、裏八はお説のとうり「栗鼠」の句が良いと思います。そこで、九句を付けます。
七句       密談の隠し砦に寒の月         晴坊
八句       食糧埋めて春を待つ栗鼠        俊
九句   イ   オーロラにテント飛び出す観測隊    晴坊
     ロ   せせらぎの音をたよりのぶなの山    晴坊
蛇足   いずれも「匂い付け」のつもり。
 イ)は、海外が出ていないので、飛んでみたもの。カタカナがいかがか?
 ロ)は、これまでのところ、動物は出ているが、植物が出ていないので・・・ただし、出し方を間違えると、十一句で打越になるおそれあり苦慮。
 本人としては、ロ)はやや付き過ぎの感じあり、イ)がいいかなと・・・ご意見を。
 裏八はお説のとうり「栗鼠」の句が良いと思います。

 連句はどんどん先へ行くのが良いとされるが、変化、転じが尊重されるので、場面も登場人物も多彩が好まれる。つまり人情、気象、動物、植物、神祇釈教、酒など一通り出てくるのが多彩で良いとされる。
 打越というのは観音開きの逆、十一句が花・植物なので「ぶな」では同じ植物だからと言う意味。

m 九月七日「九句オーロラにつけました」 俊
 岡田様  ご指南ありがとうございます。二つとも玉吟と存じますがオーロラに付けさせて頂きます。なお、八句の上七「食糧埋めてー団栗埋けて」に直させていただきました。どんぐり、りすともひらがなのほうがよいようにも思い迷っています。
裏八句  団栗埋けて春を待つ栗鼠         俊
   九句  オーロラにテント飛び出す観測隊    晴坊
   十句  金銀琥珀瑠璃しゃこ瑪瑙         俊
 九句直されるとのことでしたが、とりあえず原句(私は滑稽味があって好きですが)に付けました。 
 なお、蛇足ながら十句は七宝を詠った松根東洋城の「金 銀 瑠璃 しゃこ 瑪瑙 琥珀 葡萄哉」の本歌取りのつもりです。葡萄は字余りですので省略し六宝です。
 花の定座十一句お願いしてよろしいでしょうか。小生の挙句になってしまいますが。挙句は発句を詠んだ者でも良いのでしょうか?
 例によって練習句です。
八句  どんぐり埋けて春を待つ栗鼠       俊
九句  せせらぎの音をたよりにぶなの山    晴坊
十句  照葉樹林は光彩陸離           俊

 連句は、付けるひとのそのとき心情や考えていることなどが思わず出て来る。それで展開が変わるのがまた楽しい。練習句、「ぶなの山」に「照葉樹林」は言葉からの連想、付き過ぎ。

m 俊 九月七日「添付ファイル忘れました」
 岡田様 先ほどのメールにファイル添付忘れましたので追送いたします。
メールでは「しゃこ」の文字を受け付けませんが、ワードではIMEパッドで検索できましたのでご一瞥願いたくお願いいたします。

m 九月七日「返信・九句オーロラにつけました」 晴坊
 脇坂様  早速付けていただきましたが、少し考えてみました。ご検討ください。
1・九句の修正をさせてください。裏五句から漢字留が続いて、気になりますので、滑稽味を変えないように、
 オーロラに観測隊も舞い上がり    とします。
 なお、歌仙の式目に、「去嫌(さりきらい)」というのがあり、留字に 漢字ばかり五句以上続けてはいけない、 連続三句ぐらいにせよと、あります。(宇咲冬男「現代の連句」飯塚書店) 宇咲氏は連句協会副会長。
 そこで、私も厳密にしたく、裏七を修正してみます。いかがでしょう。
 寒の月隠し砦を覗きをり  (修正前) 密談の隠し砦に寒の月
2.十句はオーロラの輝きを詠んで見事ですが、これは本歌取りというより「なぞり」ではないでしょうか。 私にも自信がありませんので、金子兜太の説明を引用します。
 「本歌取りは、本歌とは違った趣を備えつつ、本歌に匹敵し、それを凌ぐものでなければいけない。たんなる真似事は、なぞりにすぎない」(兜太「自分の俳句を作っている」講談社文庫) 本歌の一番良いところを上手にとって、別の趣と個性を出す、ということのようです。いかがですか?
3.挙句が、発句を詠んだ人と同じでよいか?
  なるほど・・・。そこで、上記「宇咲」の本を見たところ、たくさんの事例がありました。 なお、この本には、「挙句は花の句に付けるよりも、むしろ発句に照応した付味の句がよい」とあります。
 私が、花に挑戦しますので、貴兄は挙句をまとめてください。いろいろと申し上げましたが、あしからず。
  九句の修正をしましたので、十句を改めてお願いします。

 晴坊氏から、不勉強なくせに調子に乗った私への雷がついに落ちる。ご検討くださいとの穏やかな物言いだが、本歌取りのところはきついお叱りである。ひたすら謝るしかない。

m 九月八日「ありがとうございました」 俊
 岡田様 適切なご指摘ありがとうございました。勉強になりました。
1・十句はおっしゃるとおり確かに「なぞり」そのものでした。もともと「本歌取り」を勉強しておりませんでした。知ったかぶりをして恥ずかしい限りです。連句は勿論俳句にも興味が無かった現役時代に東洋城の「金銀~」を知りメモしており、それがひらめいての付け句でした。七七に押し込めるつまらない苦労をしてわれながら呆れたものです。新しい「オーロラに~」で付け直しますので、暫く時間を戴きたいと思います。
2・去り嫌いは連句の基本と思いますが、漢字留めの連続には気がつきませんでした。見てみると小生のは漢字留めが多く、 問題ありのようです。さすが宗匠の修正句は舞い上がった観測隊も眼に見えるようですし、寒の月が隠し砦を覗いているというのは、なんともおかしく雅趣のある良句になりました。脱帽です。
3・やはり式目は長い間に出来たものを纏めたものでしょうから、頭において作る必要があると分かりました。そのほうが良い連句になるようです。遊びごころは基礎を勉強したあとのようです。

 去り嫌いは、連句の基本である「先行きて戻らず」をいわば、別の言い方で表現したものか。式目ではかなりうるさく出て来る。繰り返さない、後ろに戻らない、が連句の要諦のようだ。

m 九月八日「九句再び」 俊
岡田様  ご指導ありがとうございます。九句再挑戦しました。
八句     オーロラに観測隊も舞い上がり        晴坊
   九句  イ  農協本店旗翻る                俊
       ロ  気象予報士表情曇る       
       ハ  単身赴任終りの知らせ      
 極北の地から日本に楽しく帰りたいものと考えましたが、気ばかり焦り、苦吟(?)したうえに、やっと出来た3句の中からなかなか一本に絞れないというていたらくです。
 自分としては、(イ)が気に入っているのですが、どうでしょうか。連句は字余りを嫌うそうですので、農協本所とすべきですが、一般的ではありませんから本店にしました。(ロ)と(ハ)はともに前句に付き過ぎのようです。(ハ)はもう一工夫すると句意がはっきりすると思うのですが良い下七が浮かびません。とりあえず、ご指導頂きたく。

 協同組合旗は、ご存知レインボーフラッグ。農協本店に日章旗とともに翩翻とひるがえっている。オーロラに付けたつもりだが、晴坊さんからは何のコメントもない。気にいっていない証拠だ。

m 九月十二日「返信・九句再び」 晴坊
 脇坂様  遅くなりましたが、連句 裏 十一句目を送ります。
十句    農協本店旗翻る                俊
  十一句  イ 万人は一人のために花の束          晴坊
ロ 挨拶のいささか長き花の宴
   ハ 花の下荒れた棚田を眺めてる
 ほかにもいくつか作ってみましたが、どうも農協に引きずられて、きれいな花の句になりません。いささか付き過ぎの感もありますが、私としては、(イ)で行こうと思います。あとは挙句が頼りということで・・・。

たしかに、農協のあとが花の句では、歌に詠みにくかったに違いない。私は(ロ)も好きだ。農協の集まりでは、挨拶が多くそして長い。

m 九月十三日「満尾のくるしみ楽しみ」 俊
 ご指導ありがとうございます。佳句裏十一句楽しく拝見しました。さっそく初めての挙句に挑戦しました。大きな前句に付けておおらかにのびやかに春を詠いかつ、出来れば発句と照応しなどと考えると「挙句に期待して・・・・」がプレッシャーとなりました。
発句      夕涼み作務衣のなじむ齢となり       俊
・・・・・・・・・・・・
裏十句      農協本店旗翻る              俊
裏十一句     万人は一人のために花の束        晴坊
挙句      大観描く春曉の富士         俊(イ)
          国士無双であがる春宵         (ロ)
          まんさく(金縷梅)咲いて豊年祈願   (ハ)
          春野まぼろし母衣武者単騎       (ニ)
 例により迷っていますが、迷うということは良句ではない証拠と思います。(ロ)は気に入っていて「九連宝燈あがる春宵」の方が萬子ばかりで良いように思いますが数字の九が面去らず?で難。やはりめでたい富士山がある(イ)かなと思っておりますが。如何でしょうか。ご指導たまわれば嬉しく思います。
練習句
        裏十句   農協本店旗翻る          俊
       裏十一句   挨拶のいささか長き花の宴    晴坊
         挙句   春高楼の歌が流れる        俊

        裏十句   農協本店旗翻る          俊
       裏十一句   花の下荒れた棚田を眺めてる   晴坊
         挙句   春の祭の太鼓が響く        俊

 満尾とは歌仙の完了のこと。連習句はいずれも、挙句が発句と照応していない。おおらかさにも欠ける。なお、このときまでに宗匠に相談して発句「夕涼み豪腕将棋負けがこみ」を「夕涼み作務衣のなじむ歳となり」に変えている。ソフト名の豪腕将棋が落ち着きが悪くて、どうも気に入らなくなってきたのである。丈高くあるべき発句からすれば軽々に、変えるとは無茶苦茶である。

m 九月十三日「返信・満尾のくるしみ楽しみ」 晴坊
 脇坂様  期待どおりの素晴らしい挙句をいただきました。結論からいえば、ロ 国士無双がいいと思いますが・・・。
 九連宝塔の「九の面去らず」がわかりませんが、それ以前に国士無双のおおらかさがいいでしょう。大観描く富士では「人=主役」が見えないし・・・。
 発句で、ある年齢に達した人物が、夏の夕涼みから秋冬と旅をして、夢をみて、運にも恵まれて国士無双をあがるという、これからの楽しみにもつながる春の宵を迎えている・・・。連句は、ここまで詠み込む必要はないのでしょうが、こう詠んでもさしつかえない展開です。と、これは国士無双がいいという私の感想ですが、いかがですか?
 挙句を決めていただいたのちに、治定(一直)し、反省・総評としましょうか?

 治定とは、巻き終わったあと、全体を見て式目に反していることや、不都合がないか見直して直すことをいう。連句はストーリィにならなければということはないが、宗匠が全体を見て展開を説明してくれるとなんとなく嬉しくなる。

m 九月十三日「ありがとうございました」 俊
 岡田様   早速のご教示・ご返信ありがとうございました。
 挙句は「国士無双~」に決めたいと思います。九連宝燈は前句の「万人は一人のために~」の数字が同じ裏の面で出るのでダメと判断しました。「万人」と萬子で気に入ったのですが。また、もとの発句の豪腕将棋であればもっと照応したのかも知れませんが・・・。どうも小生はべったりしすぎのようです。さらりとやれないのが欠点です。その点、読み直してみると、全般を通じて宗匠の句はさすがにおだやかな滑稽味がただよっており、あらためて感心しております。
 大観描く~は大観の絵のような春曉を自分がみているというつもりだったのですが。どう表現すればよいのでしょうか。例えば大観好みの春曉の富士でも同じでしょうか。
 いずれにしても、まがりなりにも満尾まできましたが、小生の直感・連句は面白そうだ・がそのとおりだったと満足しております。これもひとえに我慢強くお付き合い、ご指導頂いた賜物と心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。なお、一直ですが、「起算日の~」はそのままにして、小生の「五日後の~」を「特Aの~」などと修正したらどうかと考えましたが如何でしょうか?では、また。

 連句では、自分のことを詠むか、他人を詠むか、場面、状況を詠むかそれぞれ前句に自在に付けながら、前へ、前へと展開していかねばならない。面白いが難しい。

m 九月十四日「満尾野苦しみ・楽しみ2」 俊
 岡田様  今日はありがとうございました。
1・岡田宗匠の「起算日が~」は「母親が気付き早めの水天宮」で良かったでしょうか。
 小生の「どんぐりを埋(い)けて~」は「どんぐり探し雪を掘る栗鼠」としました。りすを漢字にしたのは、どんぐりの「り」と前後の句が「り留め」で気になったためですが、気にするほうがおかしいでしょうか。「埋けて」は気に入っていたのですが省略・消しました。
2・シャブリはブルゴーニュの地名をとったワインの名前でした。地名そのものでなく普通名詞的な使い方ということでお許しをねがえればと思います。ただし、宇咲冬男氏の式目では、起(表四句まで・発句は制約なし)に・・酒・・を嫌うとあり厳密にはダメのようです。そのときは
発句     夕涼み作務衣のなじむ齢となり
    脇     誕生祝い贈る藤椅子       イ
   または、   誕生祝い袴能観る        ロ
としたいと思いますが。如何でしょうか。作務衣と袴では付き過ぎですから(イ)がよいかと思います。ご意見を頂ければ有り難いと思います。
3・表題は「夕涼み」で良いでしょうか。よろしければ、(仮題)をとってめでたく満尾となるのですが。歌仙の表題の付けかたがもうひとつわかりません。

m 九月十五日「返信・満尾野苦しみ・楽しみ2」 晴坊
 脇坂様 最終整理をしていただきありがとうございます。ご質問に私見を添えます。
1.裏五句目は、「母親が気付き早めの水天宮」で結構です。七句目と九句目が、ともに「り」で終わっていることには気が付きませんでした。特段の禁忌もなさそうですので、これでいきましょう。そこで、八句目の「りす」を漢字にするかひらがなにするかですが、上五のどんぐりの「り」も含め、どちらでもいのではないか、と愚考します。
2・表六句に酒を嫌うとは知りませんでした。「おだやかに、品よく」という趣旨でしょうか。 私はシャブリが気に入ったのですが、ダメならば、イ の籐椅子が良いと思います。
3・表題の付け方になんらかのルールがあるのか否か、承知していません。今、手元の事例を調べたところ、上五からとったものが八例、下五からとったもの七例、中七が一例、ということでした。したがって、今回は「夕涼み」が適当と思います。
m 九月十六日「ありがとうございました」 俊
 岡田様  早速のご教示ありがとうございました。
1.「浅酌歌仙」石川 淳 丸谷才一 杉本秀太郎 大岡 信(集英社)を読みはじめましたら、「酒」は早くから出したいのを抑えるという感じのようです。酒がゆっくりあとから出る歌仙の方が良い歌仙だそうです。従って「~藤椅子」にしたいと思います。この半歌仙に「酒」がなく、ちょっと淋しい気もしますが。「華燭の宴」に隠れているということにして・・・。
2.どんぐり、栗鼠はこだわるほどのこともないようでほっとしました。これでいきたいと思います。
3.表題については、お調べ頂き恐縮でしたが、たしかに上掲書でも全て発句からとり「・・・の巻」としていました。決まりはないものの、やはり発句ありきというか、発句が全体を決めるという感じのように思います。以上すべて捌き人のご指導どおりでした。
長時間小生のわがままにお付き合い頂き、ご指導たまわりました。あらためてお礼を申し上げます。

m 九月十八日「返信・ありがとうございました」 晴坊
 脇坂様  あらためて、満尾に乾杯しましょう。この間およそ四十日、おかげさまで楽しくすごしました。あわせて、半可通の私の勝手な捌きに、我慢をしておつきあいいただき恐縮しております。出来栄えのほうは、素人の「両吟歌仙」ではありますが、そこそこではないかと思います。(こまかいことですが、籐椅子は竹冠です。)
 わかっているつもりが、知らないことも多く、なにごとにも本格的に取り組むことの大事さを教えていただきました。機会をみて、もう一度連句の勉強をする必要を感じております。ありがとうございました。

 普通、連句の手だれは、歌仙、半歌仙であれば、酒を飲みながら一晩で巻くという。そこにあるのは、まさに座の即興の愉しさだろう。しかし、昔は手紙だったというが、現代のメール韻文もやってみると捨て難い味がある。メールを開く楽しみ、それを受けて考えるしばしの時間は苦しみながらも、至福のひとときでもある。一ヶ月余、私は存分に楽しませて貰った。

m 九月十九日「返信・ありがとうございました」 俊
 岡田様  メール恐縮しました。籐椅子は草冠の藤だとばかり思っていました。国語の能力の低さを露呈しました。細かいことではありませんで恥ずかしい限りです。ご指摘ありがとうございました。
巻上がって一つだけ気になっています。脇句の「誕生祝贈る籐椅子」は、「誕生祝届く籐椅子」ではないかという気がしてきました。脇句は発句に添えるように、つまり発句と脇であたかも一つの句に近いという感じだと思うのですが。作務衣のなじむ男が贈るのでは少しおかしいようにも思います。ただ、脇句の主体は発句を詠んだひとと別人(主客とホスト)となると贈るでも良いのでしょうか。誕生祝に長い籐椅子とでもすればうやむやになるのでしょうが。これも実際に作ってみないと気がつかない疑問のようです。
 その意味でも、遮二無二に一度やってみたというのは正解だったように思います。あらためてありがとうございました。

 初めてのメール韻文は、これで終わった。「夕涼みの巻」は、パワーポイントでそれぞれの句に絵や写真を入れてCDに落とし、晴坊さんに差し上げた。私も一枚大事にしまってある。その後は、独吟半歌仙をやってみたが、連句はやはり、相手がいたほうが数倍楽しいようだ

 さて、連句をやってみて、俳句がより理解できたかというとよく分からない。俳句は二章体が多くこの二つはとりあわせ、すなわち付け合わせでもあるという。その意味では、俳句は、それ自体で連句に似たものとも言える。
 やってみると、実感として俳句と連句は、同じ短詩型ではあるが、どうも基本的に異なるような気がする。
「連俳は文学に非ず」と言った子規は、俳諧をきちんと理解していなかったとする説も有力である。古い俳諧から俳句という新しい文学を創り出そうとする子規としては、勇み足のように見えるが,仕方がなかったのかも知れない。いずれにしても子規によって、俳句は俳諧の発句から誕生するのだが、連歌からの長い歴史をもつ俳諧とは似て非なるもののような気がする。俳諧は、「座の文芸」で連衆(参加する詠み手)の共同制作品である。常に他人を意識して詠い、他人から影響され触発される。
晴坊さんは、あるとき座の文芸は、もっと大事にされて良いと言われたことがある。今思えば、宗匠の最も得意とする落語も座の文芸だと言いたかったのだろうか。落語家も観客とのコラボレーション、心のやりとりをしていると聞いたことがある。
 芭蕉、一茶、漱石、虚子等が連句・俳諧を巻いている愉しそうな風情は、後の人が書いた本を読んでいても伝わってくる。芭蕉によれば、詠んで遊んでいる間が最も楽しく、巻き終わればおしまいというのが連句・俳諧だという。一方、ため息文学とさえいわれる俳句はあくまで自己の内部へ内部へと向かい、他をほとんど意識しない。孤独で孤高とさえ見える。句会や競吟というものもあって、類が友を呼ぶ側面もあるが本質は一人だけの短詩だ。そのかわり俳句は詠まれたうたが、後々まで残ってそれが万人の胸を打つ。
 ところで俳句と連句は両立するかというのは、一つのテーマである。議論したことはないが、今思うと、晴坊さんは、やや否定的だったような気がする。連句は、どうしても観念的になりがちで嘱目、写生を重視する俳句ではそれが嫌われるのだろう。俳人に多い意見である。
私は、この二つが基本的に異なるということからみて、両立すると思いたい。俳句と連句では、使う脳の部分が異なると言う人さえいる。好き嫌いはあるが、短歌と俳句は両立するかという設問と同じで、あまり意味はないのかも知れない。

 初めての連句を巻いた翌年の正月に、三つ物をつくり、例によってあまり深い考えもなく年賀状にそれを印刷した。
     歳旦三つ物
   五十肩消えて弾き初めバイオリン
   いよよ華やぐ老いの春なり
   挙式せん山笑う頃穂高にて
 すると、思いがけず岡田さんから一月六日メールが届いた。

m 「三つ物」 晴坊
 脇坂さま あけましておめでとうございます。いただいた賀状に素晴らしい三つ物を拝見。ご一家の慶事のご様子に嬉しいかぎりです。そこで、恥ずかしながら、返歌を差し上げたいと・・・
松の内三つ物
    三つ物のなにやら嬉し年賀状
    心新たに立ちし元朝
    還暦をすぎて始めることありて
 今年もよろしくお願いします。

 相、呼応する心のやりとり。これが、連句のこころだと教えてもらったような気がした。次は三十六歌仙に挑戦したかったが、もう、晴坊さんに連句を巻くことを御願いできない。連句は、このはじめての連句で終り、と言う思いが悲しいけれどする。晴坊さん、はじめての連句は、文字通りほんの入り口だけ見せて頂きましたが、本当に楽しかったです、ありがとうございました。(平成十九年二月十四日)



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