高齢化 [健康]
2005年
母白寿押す姉は古希車椅子
最近はどこでも見かける光景である。老々でなく、最近は認々介護というのもめずらしくないそうだ。認知症同士というのは凄まじい。
日に三度帽子忘れる木の葉髪
ある会合にいったときに、三回も帽子を忘れた。幸いなことに三度とも帽子に書いておいた名前をみて届けてくれて、失くさなかった。何か考え事をしたりしていたらしく、そんなときは危ない。しかし、日に三度とは。
母白寿押す姉は古希車椅子
最近はどこでも見かける光景である。老々でなく、最近は認々介護というのもめずらしくないそうだ。認知症同士というのは凄まじい。
日に三度帽子忘れる木の葉髪
ある会合にいったときに、三回も帽子を忘れた。幸いなことに三度とも帽子に書いておいた名前をみて届けてくれて、失くさなかった。何か考え事をしたりしていたらしく、そんなときは危ない。しかし、日に三度とは。
我がパートナー評句 [健康]
ゴルフスコア [健康]
2006年8月
フィットネス帰ればあとは寝てばかり
フィットネスに行くようになった。疲れて帰ると寝てばかり。今日はこれだけやったのだからと昼寝を決め込んだり、ビールを飲んだりして免罪符のようになっている。
百切りて低血圧の仲間入り
百が切れない。上手いやつは、「おまえ、どうしたらそんなに数を打てるのか」と嫌味を言う。悔しいが返す言葉はない。
ゴルフスコアは、いろいろな数字に例えられる、救急車、百十四銀行、レギュラーガソリンの値段、血圧などなど。
フィットネス帰ればあとは寝てばかり
フィットネスに行くようになった。疲れて帰ると寝てばかり。今日はこれだけやったのだからと昼寝を決め込んだり、ビールを飲んだりして免罪符のようになっている。
フィットネス帰ればあとは寝てばかり
フィットネスに行くようになった。疲れて帰ると寝てばかり。今日はこれだけやったのだからと昼寝を決め込んだり、ビールを飲んだりして免罪符のようになっている。
百切りて低血圧の仲間入り
百が切れない。上手いやつは、「おまえ、どうしたらそんなに数を打てるのか」と嫌味を言う。悔しいが返す言葉はない。
ゴルフスコアは、いろいろな数字に例えられる、救急車、百十四銀行、レギュラーガソリンの値段、血圧などなど。
フィットネス帰ればあとは寝てばかり
フィットネスに行くようになった。疲れて帰ると寝てばかり。今日はこれだけやったのだからと昼寝を決め込んだり、ビールを飲んだりして免罪符のようになっている。
飛蚊症 [健康]
花便り [植物]
ロケット [川柳]
ゴルフ [川柳]
2004年秋 ゴルフ
越えられぬティーグランドのバカの壁
ゴルフ川柳は自嘲句が多い。ゴルフ下手はいくらでも口をついて出る。おのれの下手加減を罵ればそのまま句になるのが悔しい。
ティーグラウンド一番ホールは、どうしても緊張してチョロが多い。肝が小さいうえ、練習していないので自信がない。所詮これが実力なのだから良いショットになるわけがない、と観念すれば良いのだが、下手なくせに見栄と欲のかたまりになっている。
秋深しラフの深さに泣かされて
一度だけ小金井カントリーに行ったことがある。下手のいくところではない。ラフが深くラフからラフへの「渡り」を繰り返した。おひるの冷たい田舎うどんが、やけに美味しかったことだけを覚えている。
越えられぬティーグランドのバカの壁
ゴルフ川柳は自嘲句が多い。ゴルフ下手はいくらでも口をついて出る。おのれの下手加減を罵ればそのまま句になるのが悔しい。
ティーグラウンド一番ホールは、どうしても緊張してチョロが多い。肝が小さいうえ、練習していないので自信がない。所詮これが実力なのだから良いショットになるわけがない、と観念すれば良いのだが、下手なくせに見栄と欲のかたまりになっている。
秋深しラフの深さに泣かされて
一度だけ小金井カントリーに行ったことがある。下手のいくところではない。ラフが深くラフからラフへの「渡り」を繰り返した。おひるの冷たい田舎うどんが、やけに美味しかったことだけを覚えている。
ちょこっと川柳 [川柳]
このさきを考へている豆のつる 雉子郎(吉川英治)
うまいなと思う。川柳は人の作ったものを読むほうが好きだ。自分で作るのは苦手。時事句などは、あとで読んでも何のことやらわからないことが多い。
酒とろりおもむろに世ははなれゆく
身の底の底に火がつく冬の酒 川上三太郎
これも、「うまい!」と思わず声を出したくなる。おかしいがどこかペーソスみたいなものがあるのが、並みのものと違う。
背くらべ手を和らかにさげてゐる
どっかりと寄る浪人の年
二句とも武玉川である。難しい誹風柳樽よりこちらの方が読んでいていいなあと思う。長い時を隔てても今に生きている感じがある。
上燗屋へいへいとさからわず 當百
関西の岸本水府なども独特の味があっていい。
柳樽とは婚約成立を祝してつかう結納樽のこととか。俳諧と川柳の仲立を企図したとは、知らなかった。川柳も俳諧が親とすれば、子規によって俳諧の発句から独立した俳句とは兄弟ということになる。
柳樽は、分かりやすい有名な句もたくさんあるが、江戸の庶民の暮らしなどがわからないと、ちんぷんかんぷんな句も多い。
ところで俳句と川柳の違いは、いくつかある。川柳は、切れ字や季語がなくとも良い。また、川柳はどちらかというと人事をよむことが多い。
共通しているところもある。どちらも滑稽味が身上。川柳ではわび、さびよりペーソスが、俳句では、写生が良いとされる。しかし川柳でも写生句は、大事だ。二つは近いところも多い。しかし、言い回しなどで異なるところも。だから俳句的川柳、川柳風俳句も多い。
さて、川柳を自分もと試みてみるが、なぜかうまくいかない。月並み川柳になってしまう。笑いとかユーモアとかのセンスがないことを思い知らされることになる。何事も面白いと思うこころ、笑い飛ばすこころ、それをうまく表現するセンス、が欲しいのだが、ないものねだりか。
印刷部数一冊の本 [雑感・随想]
新宿御苑の桜 [植物]
2008年
新宿御苑を描きに春と秋に行く。御苑の桜は八重桜が綺麗だ。一葉、うこん、御衣黄などである。
水彩は、教室にまなぶこと六年になろうとしているが、一向にものにならない。ますます混迷の度を深め色は混濁し、光が消える。
懲りもせず絵の具重ねて反故の山わが淡彩は不透明なり
「ぎょいこう」とはどういう字をあてるのですかと聞かれ、「御衣更」といい加減に答え、後で調べると間違っていた。
正しくは「御衣黄」。急いではがきで訂正した。
御衣黄に更の字あてしおっちょこちょい花便りにてお詫び訂正
新宿御苑を描きに春と秋に行く。御苑の桜は八重桜が綺麗だ。一葉、うこん、御衣黄などである。
水彩は、教室にまなぶこと六年になろうとしているが、一向にものにならない。ますます混迷の度を深め色は混濁し、光が消える。
懲りもせず絵の具重ねて反故の山わが淡彩は不透明なり
「ぎょいこう」とはどういう字をあてるのですかと聞かれ、「御衣更」といい加減に答え、後で調べると間違っていた。
正しくは「御衣黄」。急いではがきで訂正した。
御衣黄に更の字あてしおっちょこちょい花便りにてお詫び訂正
タグ:混濁 一葉、うこん、御衣黄
ふぐどっくり [酒]
安曇野にて [旅]
大分の佐藤美和子さん [植物]
水彩画 向日葵 [絵]
頸椎 [健康]
2005年
昔から首や肩などがぽきぽき鳴る。関節が音をたてる。これはよいことなのか悪いことなのか健康に関する本でも読んだことがない。運動不足と関係がありそうだが原因も良く分からない。たまに同じことをしているひとを見るから私だけではないようだ。
あるとき、医者に首が痛いと訴えたら、レントゲンを撮ってくれた。本来の滑らかな関節と関節の間の線が少しいびつになっているという。これは、年のせいです。とのことで治療のしようもないらしく、医者は気の毒そうな顔をした。
しかし、その後フィットネスでストレッチ体操やスローヨガをしたところ、首の痛みは消えた。ついでに肩こりも消えた。だが、首・肩のぽきぽきは依然として消えず、相変わらず鳴る。
レントゲンわが頚椎は歳ふりて線の乱れを医師は指摘す
昔から首や肩などがぽきぽき鳴る。関節が音をたてる。これはよいことなのか悪いことなのか健康に関する本でも読んだことがない。運動不足と関係がありそうだが原因も良く分からない。たまに同じことをしているひとを見るから私だけではないようだ。
あるとき、医者に首が痛いと訴えたら、レントゲンを撮ってくれた。本来の滑らかな関節と関節の間の線が少しいびつになっているという。これは、年のせいです。とのことで治療のしようもないらしく、医者は気の毒そうな顔をした。
しかし、その後フィットネスでストレッチ体操やスローヨガをしたところ、首の痛みは消えた。ついでに肩こりも消えた。だが、首・肩のぽきぽきは依然として消えず、相変わらず鳴る。
レントゲンわが頚椎は歳ふりて線の乱れを医師は指摘す
躁鬱病 [健康]
2004年
この病は躁と鬱状態が交互にくるという。北杜夫ならずとも人間は大なり小なりこの病にかかっていると言ってもよいのではないか。谷沢永一には「人間うつでも生きられる」、倉嶋厚には「やまない雨はない」という著書がある。
三万人を超える自殺の動機のトップは欝だという。
これにかかるとかなりつらい。強度の欝になった経験はまだないが、欝だな、これはと思うときがある。このしのぎかたはなかなか難しい。それに比べると躁かなと思うときはそうはない。たいてい、はしゃぐていどで短く終わる。
いずれにしても軽度とはいえ、この気があるとまわりはたいへんである。
いま鬱か訊ねし妻の眼を見ずにいや燥かなと小さく答へり
この病は躁と鬱状態が交互にくるという。北杜夫ならずとも人間は大なり小なりこの病にかかっていると言ってもよいのではないか。谷沢永一には「人間うつでも生きられる」、倉嶋厚には「やまない雨はない」という著書がある。
三万人を超える自殺の動機のトップは欝だという。
これにかかるとかなりつらい。強度の欝になった経験はまだないが、欝だな、これはと思うときがある。このしのぎかたはなかなか難しい。それに比べると躁かなと思うときはそうはない。たいてい、はしゃぐていどで短く終わる。
いずれにしても軽度とはいえ、この気があるとまわりはたいへんである。
いま鬱か訊ねし妻の眼を見ずにいや燥かなと小さく答へり
タグ:「やまない雨はない」 倉嶋厚
筑土八幡様 [神祇釈教]
なんじゃもんじゃ [植物]
あひるの置物 [生活]
けやきの大木 [植物]
2003年12月
武蔵野の公園には、太くてこずえの高い欅が多い。昔から生えていたのをそのままに利用しているからか。
冬、散歩の途中でよく太い木の幹をかかえて耳を押し当て、中で流れる樹液の音が聞こえないものかと試してみる。聞こえるはずはないのだが。
ただ、そうすると木から元気を貰ったような気がするのだ。すっかり葉を落とした裸の木はものを言わないが何か言っているようにも思えてたのもしい。
この頃、しんどいことが重なり参っていた。かといって参っていることなど出来ないときでもあった。
公園の太き立木を抱き締めて元気貰ひし冬の晴れた日 2003/12/13
武蔵野の公園には、太くてこずえの高い欅が多い。昔から生えていたのをそのままに利用しているからか。
冬、散歩の途中でよく太い木の幹をかかえて耳を押し当て、中で流れる樹液の音が聞こえないものかと試してみる。聞こえるはずはないのだが。
ただ、そうすると木から元気を貰ったような気がするのだ。すっかり葉を落とした裸の木はものを言わないが何か言っているようにも思えてたのもしい。
この頃、しんどいことが重なり参っていた。かといって参っていることなど出来ないときでもあった。
公園の太き立木を抱き締めて元気貰ひし冬の晴れた日 2003/12/13
タグ:武蔵野の公園
ちょこっと短歌 [雑感・随想]
年老いて心たひらかにありなんを能はぬかなや命いきむため 茂吉
老身はひたすらにしていひにけり群鳥とともにはやく春来よ 茂吉
いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも 茂吉
酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり 牧水
この星に孫を残した悔しさは海に落としたダイアの指輪 棚橋桂子
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなきすまいかな 西行
あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月 明恵上人
命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中にし息きす 空穂
世と離れひとり生きむと思(も)ふこころこのごろつのる何ゆゑぞそも 吉井勇
好きな歌は、ほかにもたくさんあってあげればきりがない。短歌は流れるような調べがいのち、一句二章体など切れのある俳句と違うところ。今はだめだが、もっと若い時なら好きな歌をきっと暗記してしまっただろうと思う。
さて、ここに収録したマイホームページの短歌はこれらの名歌とはおよそ比べられぬ。
歌の腰は、三句と四句を言うそうだが、そこだけでなくあちこちが折れているオール腰折れの歌だ。 腰折れに添えた腰折れ文とは歌の神・和歌三神(人麻呂、住吉、玉津島明神)を畏れぬ所業とはこのこと。
老身はひたすらにしていひにけり群鳥とともにはやく春来よ 茂吉
いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも 茂吉
酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり 牧水
この星に孫を残した悔しさは海に落としたダイアの指輪 棚橋桂子
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなきすまいかな 西行
あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月 明恵上人
命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中にし息きす 空穂
世と離れひとり生きむと思(も)ふこころこのごろつのる何ゆゑぞそも 吉井勇
好きな歌は、ほかにもたくさんあってあげればきりがない。短歌は流れるような調べがいのち、一句二章体など切れのある俳句と違うところ。今はだめだが、もっと若い時なら好きな歌をきっと暗記してしまっただろうと思う。
さて、ここに収録したマイホームページの短歌はこれらの名歌とはおよそ比べられぬ。
歌の腰は、三句と四句を言うそうだが、そこだけでなくあちこちが折れているオール腰折れの歌だ。 腰折れに添えた腰折れ文とは歌の神・和歌三神(人麻呂、住吉、玉津島明神)を畏れぬ所業とはこのこと。