櫨と七竈 [俳句]
2021年
盆栽になり損ねたる櫨紅葉
櫨紅葉区別し難し七竈
この緋色バーミリオンか櫨紅葉
和名色 猩々緋にや 櫨紅葉
我が家に鉢に植えた小さな櫨の木があり、秋になると真っ赤に紅葉する。
元々は櫨を雑木林のように見立てる小盆栽だが、そのうちの一本を少し大きめの瑠璃色の植木鉢に移植した。
今1メールほどの高さ。先端上部に花火か和傘のように開いて葉をつける。その紅葉の赤色たるや、水彩ならバーミリオンヒューかカドミウムレッドか実に鮮やかな緋色だ。
色和名で何というのか調べると、「猩々緋」というのに近い。戦国大名が好んで兜や鎧、陣羽織に使った赤というが、何となく分かるような気がする。
ウキペディアには、「ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木、学名Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。別名にリュウキュウハゼ、ロウノキ、トウハゼなど。」とある。ロウノキとはこれからロウソク用の蝋を採るからのようだ。
また、歳時記には、「関東以西に自生。秋の紅葉は燃えるように赤く美しい。蠟を採るために栽培されていた黄櫨はぜは今では自生化している。暖地で庭木や街路樹として栽植される南京黄櫨も種子から蠟や油を採るが、紅葉は一段と鮮やかである。」とある。
櫨によく似た七竈については、
[ウキペディア]
「ナナカマド(七竈、花楸樹 学名Sorbus commixta)は、バラ科の落葉高木。別名では、オオナナカマド、エゾナナカマドともよばれる。赤く染まる紅葉や果実が美しいので、北海道や東北地方では街路樹や公園樹としてよく植えられている。」
[歳時記]
「七竈はバラ科の落葉高木で山地に自生するが、庭木や街路樹としても植えられる。秋に鮮やかに紅葉する。実も葉におとらず真っ赤に色づく。」とある。
この二つは紅葉といい、木の姿かたちといい良く似ている。
どう違うのか判然としないので、ネットで調べると、櫨はウルシ科、七竈はバラ科なので別種であることに間違いないが、どうやら葉にギザギザがあるのが七竈で無いものが櫨らしい。
なお、櫨からは蝋がとれる。七竈は名前の由来である七回カマドにくべても燃えないほど硬い木とあるが、その利用法は知らない。 硬いなら樫の木のように斧などの柄にでも使ったのだろうか。
七竈については、今となっては葉にギザギザがあったか無かったか、確たることは言えないのだが、現役の頃に大阪で見た大墳墓陵(前方後円墳)に生えていたのが七竈だったと思う。
また、のちに安曇野に遊んだとき、栂池にあった紅葉が七竈だったように思う。いずれも美しい紅葉で印象的な赤だった。
これらのことを調べて暫くたったころ、今までは気づかなかった散歩道にハゼ(か七竈か)を見つけた。
見上げるほどの高くて、ギザギザがあるかどうか近眼には良く見えない。写真検索するとヤマハゼと出た。山黄櫨?、ヤマハゼは上記のにわか勉強では出てこなかった。
調べると
「山黄櫨 ヤマハぜ
・漆(うるし)科。
・学名
Rhus sylvestris
Rhus : ウルシ属
sylvestris :
森林生の、野生の
・山地などに生える。
・秋の紅葉がとてもきれい。
・「櫨の木(はぜのき)」と
よく似ているようだが、
名前の看板があったとしてもほとんど見分けがつかない。
「櫨の木(はぜのき)」の方が 紅葉の赤色が鮮やかのよう。」
とあるので山野に自生するものをヤマハゼと言うらしい。するとハゼは何だ。栽培種か。しかしこれは庭木だ。はてさてややこしいが、どちらでもいいか。
なるほど綺麗だ。日に日に赤くなっていくのを見るのが楽しい。それで充分。
例によって以下は備忘的蛇足。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)は、平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の、「黄櫨染」色の袍のことである。(袍とは①わたいれ。ぬのこ。「褞袍(オンポウ)・(どてら)」 ②ほう。昔の束帯のうわぎ(上着)のことで、ここでは②であろう。)
黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨の樹皮と蘇芳から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」等と言われるが、時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている。令和元年(2019)の即位礼正殿の儀における海外報道の多くでは、その色調はbrown-goldと評された。(ウキペディア)
櫨は黄櫨とも書く。昔は「ころ」、「こうろ」とも読んだのだろう。
蘇芳(すおう)は、マメ科の小高木。蘇芳色はマゼンタ、暗い赤紫のイメージだが、赤の櫨と合わせ染めると茶色系の複雑かつ高貴な色になるらしい。
盆栽になり損ねたる櫨紅葉
櫨紅葉区別し難し七竈
この緋色バーミリオンか櫨紅葉
和名色 猩々緋にや 櫨紅葉
我が家に鉢に植えた小さな櫨の木があり、秋になると真っ赤に紅葉する。
元々は櫨を雑木林のように見立てる小盆栽だが、そのうちの一本を少し大きめの瑠璃色の植木鉢に移植した。
今1メールほどの高さ。先端上部に花火か和傘のように開いて葉をつける。その紅葉の赤色たるや、水彩ならバーミリオンヒューかカドミウムレッドか実に鮮やかな緋色だ。
色和名で何というのか調べると、「猩々緋」というのに近い。戦国大名が好んで兜や鎧、陣羽織に使った赤というが、何となく分かるような気がする。
ウキペディアには、「ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木、学名Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。別名にリュウキュウハゼ、ロウノキ、トウハゼなど。」とある。ロウノキとはこれからロウソク用の蝋を採るからのようだ。
また、歳時記には、「関東以西に自生。秋の紅葉は燃えるように赤く美しい。蠟を採るために栽培されていた黄櫨はぜは今では自生化している。暖地で庭木や街路樹として栽植される南京黄櫨も種子から蠟や油を採るが、紅葉は一段と鮮やかである。」とある。
櫨によく似た七竈については、
[ウキペディア]
「ナナカマド(七竈、花楸樹 学名Sorbus commixta)は、バラ科の落葉高木。別名では、オオナナカマド、エゾナナカマドともよばれる。赤く染まる紅葉や果実が美しいので、北海道や東北地方では街路樹や公園樹としてよく植えられている。」
[歳時記]
「七竈はバラ科の落葉高木で山地に自生するが、庭木や街路樹としても植えられる。秋に鮮やかに紅葉する。実も葉におとらず真っ赤に色づく。」とある。
この二つは紅葉といい、木の姿かたちといい良く似ている。
どう違うのか判然としないので、ネットで調べると、櫨はウルシ科、七竈はバラ科なので別種であることに間違いないが、どうやら葉にギザギザがあるのが七竈で無いものが櫨らしい。
なお、櫨からは蝋がとれる。七竈は名前の由来である七回カマドにくべても燃えないほど硬い木とあるが、その利用法は知らない。 硬いなら樫の木のように斧などの柄にでも使ったのだろうか。
七竈については、今となっては葉にギザギザがあったか無かったか、確たることは言えないのだが、現役の頃に大阪で見た大墳墓陵(前方後円墳)に生えていたのが七竈だったと思う。
また、のちに安曇野に遊んだとき、栂池にあった紅葉が七竈だったように思う。いずれも美しい紅葉で印象的な赤だった。
これらのことを調べて暫くたったころ、今までは気づかなかった散歩道にハゼ(か七竈か)を見つけた。
見上げるほどの高くて、ギザギザがあるかどうか近眼には良く見えない。写真検索するとヤマハゼと出た。山黄櫨?、ヤマハゼは上記のにわか勉強では出てこなかった。
調べると
「山黄櫨 ヤマハぜ
・漆(うるし)科。
・学名
Rhus sylvestris
Rhus : ウルシ属
sylvestris :
森林生の、野生の
・山地などに生える。
・秋の紅葉がとてもきれい。
・「櫨の木(はぜのき)」と
よく似ているようだが、
名前の看板があったとしてもほとんど見分けがつかない。
「櫨の木(はぜのき)」の方が 紅葉の赤色が鮮やかのよう。」
とあるので山野に自生するものをヤマハゼと言うらしい。するとハゼは何だ。栽培種か。しかしこれは庭木だ。はてさてややこしいが、どちらでもいいか。
なるほど綺麗だ。日に日に赤くなっていくのを見るのが楽しい。それで充分。
例によって以下は備忘的蛇足。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)は、平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の、「黄櫨染」色の袍のことである。(袍とは①わたいれ。ぬのこ。「褞袍(オンポウ)・(どてら)」 ②ほう。昔の束帯のうわぎ(上着)のことで、ここでは②であろう。)
黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨の樹皮と蘇芳から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」等と言われるが、時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている。令和元年(2019)の即位礼正殿の儀における海外報道の多くでは、その色調はbrown-goldと評された。(ウキペディア)
櫨は黄櫨とも書く。昔は「ころ」、「こうろ」とも読んだのだろう。
蘇芳(すおう)は、マメ科の小高木。蘇芳色はマゼンタ、暗い赤紫のイメージだが、赤の櫨と合わせ染めると茶色系の複雑かつ高貴な色になるらしい。
沈寿官の玄武千代香(じょか) [俳句]
沈寿官の 玄武千代香(じょか)にて 芋正中
かつて、鹿児島の沈寿官窯を訪ねた時、良いなと思いつつも、いったん諦めたのだが、帰京してどうしても欲しくなった。
鹿児島勤務の同僚に依頼して購入したのが、このじょか(千代香とも書く)なる酒器である。
いったいあの時の物への執着は何だったのか、今となると恥ずかしくも呆れるばかりだ。
知られているように、彼の地では酒といえば芋焼酎のことであり、日本酒、清酒のことではない。
薩摩焼酎は、平べったい薩摩黒じょかで温めて呑むのが一般的である。入手した酒器も同じように使う物だろう。亀の形をしていて、長い尾が把手になっている。
勝手に玄武千代香(じょか)と詠んだが、調べると四神の玄武は、脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いようだ。発見されたばかりの頃、訪ねた高松塚古墳の壁画もそうだったように思う。
つまり、玄武は蛇と亀が合体したような動物なのである。尾が蛇となっている場合もあるというが、買ったじょかの玄武の尾は蛇ではなく亀の尾である。
「正中」とは明治時代の製法(どんぶり仕込み)でつくった芋焼酎で、薩摩酒造の「さつま白波」の兄弟ブランドだったように記憶している。
これこそ本物、焼酎の中の焼酎という自負が込められているのか。何度か飲んだけれど、その旨さは分からなかった。
最近、さつま白波より黒や赤、白霧島などをカボス割りで飲むことが多い。以前大分では、麦焼酎をよく飲んだ。まぁ、酒なら何でも良いということか。
亀足ならぬ蛇足。
四神、四象は中国から朝鮮半島を経て渡来したものであるが、日本文学の中などに随分浸透している。
余り正確ではないかもしれないが、備忘のために整理すると以下の通り。ただ青龍-青年と朱雀-壮年は逆のような気がするのだが。
四象と四神 (黄竜又は麒麟を入れて五神とすることもあるとか。)
東 青龍は青春 青年 青龍偃月刀(関羽を象徴する刀)など
西 白虎は白秋 幼年 白虎隊など(会津藩少年隊)など
南 朱雀は朱夏、壮年 朱雀門(平城京)など
北 玄武は玄冬、老年 玄武洞(兵庫県にある柱状節理の洞)など
江戸時代、会津藩では武家男子を中心に年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と四神の名前を部隊名とし軍を構成していたという。
幕末の戊辰戦争における会津鶴ヶ城白虎隊自刃の悲劇はつとに名高い。
当時からすれば、たぶん玄武隊は、相当な古参兵だろうと想像する。
俳句で冬の季語である「冬帝」・「玄帝」と同義の玄武は冬(北・玄)の象徴であるが、玄武自体は季語ではないようだ。なお、冬のことを「玄冬」ともいい季語である。
青春、白秋も季語ではないそうだ。
朱夏だけは陰陽五行説で赤を夏に配するところから来た夏の異称で、夏を司つかさどる神である炎帝とともに夏の季語。
ややこしい。