ちょこっと川柳 [川柳]
このさきを考へている豆のつる 雉子郎(吉川英治)
うまいなと思う。川柳は人の作ったものを読むほうが好きだ。自分で作るのは苦手。時事句などは、あとで読んでも何のことやらわからないことが多い。
酒とろりおもむろに世ははなれゆく
身の底の底に火がつく冬の酒 川上三太郎
これも、「うまい!」と思わず声を出したくなる。おかしいがどこかペーソスみたいなものがあるのが、並みのものと違う。
背くらべ手を和らかにさげてゐる
どっかりと寄る浪人の年
二句とも武玉川である。難しい誹風柳樽よりこちらの方が読んでいていいなあと思う。長い時を隔てても今に生きている感じがある。
上燗屋へいへいとさからわず 當百
関西の岸本水府なども独特の味があっていい。
柳樽とは婚約成立を祝してつかう結納樽のこととか。俳諧と川柳の仲立を企図したとは、知らなかった。川柳も俳諧が親とすれば、子規によって俳諧の発句から独立した俳句とは兄弟ということになる。
柳樽は、分かりやすい有名な句もたくさんあるが、江戸の庶民の暮らしなどがわからないと、ちんぷんかんぷんな句も多い。
ところで俳句と川柳の違いは、いくつかある。川柳は、切れ字や季語がなくとも良い。また、川柳はどちらかというと人事をよむことが多い。
共通しているところもある。どちらも滑稽味が身上。川柳ではわび、さびよりペーソスが、俳句では、写生が良いとされる。しかし川柳でも写生句は、大事だ。二つは近いところも多い。しかし、言い回しなどで異なるところも。だから俳句的川柳、川柳風俳句も多い。
さて、川柳を自分もと試みてみるが、なぜかうまくいかない。月並み川柳になってしまう。笑いとかユーモアとかのセンスがないことを思い知らされることになる。何事も面白いと思うこころ、笑い飛ばすこころ、それをうまく表現するセンス、が欲しいのだが、ないものねだりか。
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