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写真俳句と俳画 [雑感・随想]

平成二十四年  
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 某作家はしきりに写真俳句を薦める。 ふつう写真俳句は撮影してから句を作る。俳画は句が先にあって後から絵を添える。それぞれ勿論逆の場合もあるが。いずれにしても二つは、似たようなものだ。
 写真や絵と俳句のコラボ効果が狙いだが、落とし穴もある。二つの「付き」が合わない時だ。写真や絵が説明過剰になったり、句のイメージを打ち負かしたりして、ちぐはぐになったりする。

 俳句をきちんと勉強したことはないが、句は一七文字の言葉の持つイメージを詠み手、読み手双方が愉しむもの。時にイメージするものが別のものだったりするが、それもまたよしとする。
 俳句が写真や絵に助けて貰うのは邪道なようにも思う。してみると、おなじテーマの連作俳句も同じことかも知れない。詞書などというのも長短に拘らず付けるのは如何なものか。俳句は一句だけで独立していることが重要なことのような気がする。俳諧の発句から独立して俳句になったのには、それなりの理由があったのだろう。

 しかし難しいことは別としてアマチュアにとっては、写真俳句も俳画も、見たり作ったりするのは愉しい。下手でも、楽しければそれで十分である。


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自画像 [絵]

2012年   

 何で読んだか覚えていないが、次のようなフランスの小話があるそうだ。
 「パリの街角で名のある画家が絵を仕上げたところへ、ひとりの老人が来てちょちょっとその絵に手をいれたら、見事な名画になった。画家が立ち去ろうとする老人に、せめてお名前をと訊ねると“ポール・セザンヌ”と小さく答えて雑踏に消えた」
絵というのは、最後の「ちょちょっ」が大切であり、凡作と傑作の差、凡庸な画家と巨匠の差がそこにあると言っているのだ。

 カルチャー水彩教室で自画像の練習をしたとき、出来上がって眺めていると、先生が「これは顔を描くときの基本です。」と仰りながら、ちょちょっと鼻の頭の下、下唇の下、顎先の下に影をいれ、上唇を少し濃くされた。
 すると、老人の顔が一変してイケメンの青年風となり、老醜までも消えたので吃驚した。 ご指導拳々服膺すべく、その後手を入れずにそのまま完成とした。
 そこで、かのフランス小咄を思い出したのである。むろん名画になるわけはない。
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淡彩の美男自画像妻呆れ

自画像や己惚れ鏡こわれけり      


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 水彩画文集 [本]

2011年 
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 これまで描いた水彩画を作成日順に整理して画文集を作った。
 A4版、135ページ、収録した絵は270枚余 になる。
 描いた習作はふつう破る人が多いが、絵に描き込められた長い自分の時間を思うとそれが出来ないたちである。いわば多作少捨。
 あまつさえほとんどをデジカメで撮り、HPに掲載してきたのでファイルが残っているにも拘らず、原画はまだ捨てられないでいる。 しかしファイルがあるのでそれを編集すれば、印刷製本も出来るし、自炊もせずに電子書籍を作ることも意外と簡単なのである。その両方にチャレンジした。天上天下唯我独本と洒落ているこの世に一冊だけの究極の愛蔵版である。

 この容易ならざるときに好きな絵が描けて「ありがたやかくもながきに愉しみて」と周囲に感謝している心境なので、副題は「かくもながき愉しみ」とした。絵はますます混迷の度を深め、悪足掻きが続いているが、それもまた楽し・・で、副題に「愉し」と入っているのが泣かせるところ。
 ちっとも上達していない絵を進化著しい液晶でiPadをめくって眺め、さらに手にずっしり重い印刷本も読めるという贅沢をひとり愉しんでいる。

  絵も文もアブラカダブラ春隣り

  水彩を学び八年破蓮(やれはちす)

  淡彩は茄子の浅漬け白小皿

  妻の絵を描き損じけり老いの春 

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憂きことを海月に語るにゃんこかな [動物]

2011年  
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 これは名句を踏まえたとも言えぬ、もじり句。黒柳召波の句はむろん、にゃんこでなく-海鼠(なまこ)かな、である。
 だが、左の写真で我が家の猫が話しているのはまぎれもない海月である。小さくて見えないが、細いビンの中に三匹も入っている。
 水は海水。餌付き。息子がペット店経営の友人から貰ってきたもの。 四、五日して弱ってきたので、可哀そうで返しに行った。
 若き経営者は企業のノベルテイ商品にと、試みに仕入れたとのこと。
 我が家の猫は外に出してもらえぬ。車の事故が怖いからである。が、出自は野良だから外の世界に恋焦がれている。鼠の玩具が一つだけしかないなど、ほかにも悩み事は沢山ある。
 それを海月に話しているところだ。

 しかし、なんとその猫にXマスの贈り物が二つも来た。レーザー光線の玩具と豪勢な天蓋付きベッドである。 少しは憂さも晴れよう。

  クリスマス子猫に二つプレゼント

  引越しの猫に木天蓼(またたび)キャリー籠

  リフォームや壁に仔猫の出入り口   


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 蛇瓜(へびうり) [植物]

2010年 
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 ご近所の家の庭の木にぶら下がっていたへびのような瓜。1メートルはゆうにある。左下にあるのがその蔓と葉で、梅の木のてっぺんにまでのぼり、そこからぶらさがっている。
 こんな瓜を知らなかったので、最初見た時はびっくりした。ネットであてずっぽうに「へびうり」と入力して検索したらぞろぞろ出てきた。インド原産。カラスウリ科の蛇瓜(へびうり)。別名毛烏瓜とも。
 英名は、Snake gourd . れっきとした野菜であり、イタリヤ料理、カレー料理などにも使うとか。日本でも栽培されているが、いまのところ、市場にはあまり出ていないようだ。 みるからに美味しいものではなさそうだ。 
 へびもうりも夏の季語だが、へびうりは歳時記にない。

  蛇瓜の一本だらり劫暑かな

  くちなはににたうりまっつぐぶらさがり

  蛇瓜や乾坤指して油照り 
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電子書籍 [本]

 2010年  
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 電子書籍の時代の到来と騒がれている。
 たしかに、もう少し端末機器や本の電子化技術が進化すると印刷、出版業界などへの影響は大きいかも知れないという気がする。
 本の読み手としては、無料なので図書館から借りて来て読む方が良いが、電子ブックの価格がもっと下がればパソコンでダウンロードする方が手軽である。
 今のところ、青空文庫で晶子源氏や漱石、子規、寺田寅彦の随筆など著作権の切れた電子ブックを楽しんでいる。字も大きく、ページめくり、しおりなども快適である。辞書がついているのも便利だ。
 たまたま電子ブックで子規の随筆を読んでいて、何気なく子規忌は何時だったろうか、と思い歳時記を開くと何と、その日9月19日であった。
 偶然というものは、あるものである。

  糸瓜忌や墨汁一滴eブック

  電子本病臥漫録獺祭忌
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 かぼす [植物]

2010年 
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 東京の寒さのせいか、一○年以上前に二度ほど数個の実をつけただけだったかぼすが、今年は大きな実をつけた。20個以上ありそう。
 今年の異常な猛暑と関係があるのかどうか分からないが、まずは嬉しくめでたい。
 大手町の花の市で、小さな苗を買ってきて植えたのが昭和50年・1975年頃だから、かれこれ樹齢35年前後ということになるが、実をつけたのはこれでたった3回目ということになる。やはりかぼすは「南国におけ」のようだ。
 半分に切り、搾って香りを楽しむが、みかんかぼすといって黄色く熟れたものはだめ。大分にいた時は夏になるとよく麦焼酎に搾って飲んだことを想い出す。ジンフィズにもぴたりだ。さんまや鯵など焼き魚に搾るのもおつなものである。

  葉の陰のみどりまんまるかぼすかな

  翆玉のかぼす搾らむ麦焼酎

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ばら [植物]

2010年  
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 薔薇は手入れが難しい。かぎりない愛情と忍耐とが必要である。
 とくに改良に改良を加えた大輪のばらは余程の努力が不可欠。庭先に見事に咲いているのをみると、育てた人を尊敬してしまう。
 これは、シュラブ(半蔓性)のグラウンドカバーローズ(地被バラ)の一種か。這い薔薇である。二階へクライミングしている。
 花は八重でなく原種というか野薔薇に近いようだ。そのせいか余り手入れもせず、肥料もやらないのに毎年美しく咲いて見せてくれるありがたい薔薇である。

  五年かけ二階へ這ひ薔薇のぼりけり


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ヨーガ猫 [動物]

2010年  
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 ヨガには、いろいろなポーズがあるが、なんといっても猫のポーズが一番だ。
 両手、両膝をつき呼吸にあわせて背中を丸めたり、伸ばしたりする。筋肉に酸素をおくるだけでなく内臓の運動にもなるという。我が家のネコはさすがにうまい。猫に学べばしなやかにうつくしくできるはずだ。しかし、気まぐれなうえに瞬時に終わってしまうので、写真に収めることも至難である。

  春炬燵出でて伸びするヨーガ猫

  春ヨーガ猫にまなびてしなやかに

  春隣り猫のポーズのヨガ優雅
タグ:春炬燵 ヨガ
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 俳句「はっくしょん」2について [雑感・随想]


 冷や汗駄句、駄句のわが俳句は2002年、62歳から始めた。2009年までの句を駄文と写真、絵をつけてHPの表紙に掲載していたものをまとめた。それが俳句帖「はっくしょん」である。

 俳句帖「はっくしょん」2は、その後2010年からの句を掲載してきたものである。70歳以降の句ということになる。
 並べてみるともとより自己流、勝手流なので一向に進歩のあとがない。むしろ自分でも分かるほど退化している様な気がする。
 平たく言えば下手になっているのだ。
 また、齢とともに川柳、戯れ句化しているのも問題である。   
 更に深刻なのはその下手な句さえ枯渇状態ともいうべきか、一向に浮かばなくなってきている。老化が影響していることは明らかである。

 付言すれば、短歌の方はこの傾向がもっとひどい。三十一文字の方は、2003年が最初で俳句を始めた翌年の63歳であった。
 短歌もそれまで学んだこともなく、もともと歌の素養が無いのは分かっているのだが、初めから乱調、戯れ歌調だった。
 こちらの方は「腰折れ」と自認しているが、歳ふるにつれ狂句化が顕著になった。その上、2018年以降3年間一首も詠めていない。歌の泉は枯れてしまった体だ。(2020、10、3記)
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