喜寿の歌五首ほか [生活]
2017年
喜寿の会六十年の再会に 面影浮かぶ人一人いて
九十歳何がめでたい喜寿なれど 喜ばずや蒲柳の我は
「TENQOO(天空)」に祝いし喜寿の目の下の 「東京ビル」に新人がいた
今どきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿我は何病
喜寿の年九年ぶりの内視鏡 画面の大腸朱き雉の目
二つ上病みし兄の乾く喉 姪の飲ませし水に微笑む
(一月 蘇我にて)
一つ上頭上がらぬ先輩の 訃報に悲し「WAKITYAN!」の声
(一月柳井さん逝く)
籾蒔いて水やるだけの三か月 ワインバケツに稲の花咲く
(五月バケツ稲づくりに挑戦)
アイフォーン冥途の土産と買い替えてユーチューブにて裏技磨く
(五月鷺宮ドコモ)
教え子の兄の手紙を読む前に母なる人の訃報とぞ知る
(六月長男敏博君が喪主)
喜寿の会六十年の再会に 面影浮かぶ人一人いて
九十歳何がめでたい喜寿なれど 喜ばずや蒲柳の我は
「TENQOO(天空)」に祝いし喜寿の目の下の 「東京ビル」に新人がいた
今どきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿我は何病
喜寿の年九年ぶりの内視鏡 画面の大腸朱き雉の目
二つ上病みし兄の乾く喉 姪の飲ませし水に微笑む
(一月 蘇我にて)
一つ上頭上がらぬ先輩の 訃報に悲し「WAKITYAN!」の声
(一月柳井さん逝く)
籾蒔いて水やるだけの三か月 ワインバケツに稲の花咲く
(五月バケツ稲づくりに挑戦)
アイフォーン冥途の土産と買い替えてユーチューブにて裏技磨く
(五月鷺宮ドコモ)
教え子の兄の手紙を読む前に母なる人の訃報とぞ知る
(六月長男敏博君が喪主)
連作 戯れ歌 後期高齢 [健康]
2015年
滑稽を腰折れうたに詠み込みて 明晰頭脳ボケのはじまる
真実を吐けばすべてが狂歌(うた)になる 白髪頭の蜀山人か
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
鰻食ふ茂吉あやかり喰べているスーパー目玉さんま蒲焼
歩くより車が楽と言い訳し逆走怖いが免許更新
たびぐつと暖パンはきて渋谷まで破廉恥爺に怖いもの無し
光陰は新幹線と思いしが乗ることは無いリニアのごとし
妻や子に悪態をつくかたわらで憎まれ爺は猫に優しき
ヴァーチャルに遊ぶ老人のアイパッド白煙のぼる玉手箱かな
億劫と鬱は紙のうらおもて思い知らさる老懶(ろうらん)の春
億劫はそも人の世の常なれど無洗入浴老痩躯かな
バロックの通奏低音聴いてゐてイヤホンはずし 難聴を知る
朝ドラの祖母を演じる女優こそわが青春のアイドル愛(かな)し
愛しあい罵りあいて偕老の洞穴入りて半世紀過ぐ
めでたくも金婚式と重なりぬ蒲柳の夫婦(めおと)感謝あるのみ
滑稽を腰折れうたに詠み込みて 明晰頭脳ボケのはじまる
真実を吐けばすべてが狂歌(うた)になる 白髪頭の蜀山人か
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
鰻食ふ茂吉あやかり喰べているスーパー目玉さんま蒲焼
歩くより車が楽と言い訳し逆走怖いが免許更新
たびぐつと暖パンはきて渋谷まで破廉恥爺に怖いもの無し
光陰は新幹線と思いしが乗ることは無いリニアのごとし
妻や子に悪態をつくかたわらで憎まれ爺は猫に優しき
ヴァーチャルに遊ぶ老人のアイパッド白煙のぼる玉手箱かな
億劫と鬱は紙のうらおもて思い知らさる老懶(ろうらん)の春
億劫はそも人の世の常なれど無洗入浴老痩躯かな
バロックの通奏低音聴いてゐてイヤホンはずし 難聴を知る
朝ドラの祖母を演じる女優こそわが青春のアイドル愛(かな)し
愛しあい罵りあいて偕老の洞穴入りて半世紀過ぐ
めでたくも金婚式と重なりぬ蒲柳の夫婦(めおと)感謝あるのみ
多摩森林科学園の八重桜 [植物]
2003年
四月中旬、家人に付いて高尾駅の近くにある森林総合研究所の八重桜を見にいった。
園は栽培品種サクラ保存林で、各地の名木桜のクローンを含めて約千百本の桜が植栽されている。いにしえは武田-北条の古戦場だったという八王子市廿里(とどり)町にあり、武蔵陵墓地に隣接する。元は宮内庁、後に農水省の林業試験場である。
ソメイヨシノより遅れること半月余、八重桜が見頃とあって多くの人が山谷をめぐって賑わう。安行から移植した桜などが多く、大阪の「通り抜け」の八重桜より木が若いようだが、自然の中にあるのが何より良い。
遺伝子研究の成果の新品種「はるか」のピークには、残念ながら一歩遅かった。今年の桜は、少し咲き急ぎ過ぎていないか。
体調がもうひとつで二時には帰宅したが、とても優雅と言えぬ花疲れ。腰折れもやや疲れ気味。
難読の廿里(とどり)の園の八重桜 鬱金(うこん)御衣黄(ぎょいこう)普賢象(ふげんぞう)とや
はるかなる八重の桜は散りぬるを 廿里の園は軍畑(いくさば)の跡
四月中旬、家人に付いて高尾駅の近くにある森林総合研究所の八重桜を見にいった。
園は栽培品種サクラ保存林で、各地の名木桜のクローンを含めて約千百本の桜が植栽されている。いにしえは武田-北条の古戦場だったという八王子市廿里(とどり)町にあり、武蔵陵墓地に隣接する。元は宮内庁、後に農水省の林業試験場である。
ソメイヨシノより遅れること半月余、八重桜が見頃とあって多くの人が山谷をめぐって賑わう。安行から移植した桜などが多く、大阪の「通り抜け」の八重桜より木が若いようだが、自然の中にあるのが何より良い。
遺伝子研究の成果の新品種「はるか」のピークには、残念ながら一歩遅かった。今年の桜は、少し咲き急ぎ過ぎていないか。
体調がもうひとつで二時には帰宅したが、とても優雅と言えぬ花疲れ。腰折れもやや疲れ気味。
難読の廿里(とどり)の園の八重桜 鬱金(うこん)御衣黄(ぎょいこう)普賢象(ふげんぞう)とや
はるかなる八重の桜は散りぬるを 廿里の園は軍畑(いくさば)の跡
大震災から2カ月 [雑感・随想]
2011年 大震災から2カ月
大震災から2カ月が過ぎた。この間、何もせずテレビを見ていた。
今なお、ぼんやりとしている。
原発事故まで引き起こした大津波地震が発生した日、以後世の中が変わるだろうと予感したが、本当のところは変わったのかどうかもわからない。
生まれた翌年が開戦、敗戦時五才では戦争体験者とも言えないだろう。以来古稀に至るまで大きな災難を免れて来ている自分の幸運は、僥倖いや奇跡とも思える。有難いことであるが、それだけに被災者の方々の辛さを思うと、言葉を失い茫然として腑抜けになっている。
写真は水戸市に住む義兄の手づくり地震計。東京は地震も多かろうと、数年前家具を固定してくれた時に据え付けてくれたもの。三月一一日、東京でもこの重い方の錘が大きく振れた。義兄は今回の地震の被災者でもあるが、東海村原研の元研究員なので近所の人から放射線の影響のことなど何かと頼りにされているよう。
テレビ映像を見ていて腰折れ五首
海嘯は車も漁船も流しけり 家もろともに人もろともに
山火事の消火のごとく原発へ ヘリのバケツで水を撒くとは
ひと気なき浜を彷徨う黒い牛 ペレット飼料は牛舎にあるぞ
校庭のグランド削るパワーショベル 子等の心も削られてをり
あっけなくなゐと海嘯この国を 三たび被爆の国と定めり
大震災から2カ月が過ぎた。この間、何もせずテレビを見ていた。
今なお、ぼんやりとしている。
原発事故まで引き起こした大津波地震が発生した日、以後世の中が変わるだろうと予感したが、本当のところは変わったのかどうかもわからない。
生まれた翌年が開戦、敗戦時五才では戦争体験者とも言えないだろう。以来古稀に至るまで大きな災難を免れて来ている自分の幸運は、僥倖いや奇跡とも思える。有難いことであるが、それだけに被災者の方々の辛さを思うと、言葉を失い茫然として腑抜けになっている。
写真は水戸市に住む義兄の手づくり地震計。東京は地震も多かろうと、数年前家具を固定してくれた時に据え付けてくれたもの。三月一一日、東京でもこの重い方の錘が大きく振れた。義兄は今回の地震の被災者でもあるが、東海村原研の元研究員なので近所の人から放射線の影響のことなど何かと頼りにされているよう。
テレビ映像を見ていて腰折れ五首
海嘯は車も漁船も流しけり 家もろともに人もろともに
山火事の消火のごとく原発へ ヘリのバケツで水を撒くとは
ひと気なき浜を彷徨う黒い牛 ペレット飼料は牛舎にあるぞ
校庭のグランド削るパワーショベル 子等の心も削られてをり
あっけなくなゐと海嘯この国を 三たび被爆の国と定めり
別府湾行 [旅]
2011年 別府湾行
昔の職場の仲間がOB有志に呼びかけ、大同窓会が別府湾で開催されて出席した。職場である支店開設から70年、古希の会だという。総勢五一名、こんな会の事例はあまり聞かない。幹事の苦労も並みではなかっただろう。
自分が本当の古稀であるのは、偶然のことだが、決して私のための会ではない。が、大分とあれば私には縁ある土地。多少の体調不良は、この際目をつぶることにした。
想い起こせば、たしかに今から30年前、私が勤めていたときに丁度支店開設40周年、本店が創立60周年だったので、営業キャンペーン「吉四六(きっちょむ)運動」というのを皆でやった。
吉四六さんは、大分民話の人気者で知恵者であるが、目出度い吉と四と六が運動のネーミングにぴったりだったのである。
さすれば、今回は支70周年、本店90周年ということになる。道理である。光陰矢の如し。
それにしても30年は長い。往時茫々である。大分では二年勤めた。長男だけ東京に残し家族四人で赴任した。懐かしい日々と人との思い出が山ほどある。
別府行に寄せて、腰折れ三首。
冬夕焼け別府湾は暮れわたる30年前の記憶のとおりに
友は皆30年前の顔をして 麦焼酎のかぼす割り呑む
朝日さす日出の出島の的山荘 城下鰈は今もあるらむ
昔の職場の仲間がOB有志に呼びかけ、大同窓会が別府湾で開催されて出席した。職場である支店開設から70年、古希の会だという。総勢五一名、こんな会の事例はあまり聞かない。幹事の苦労も並みではなかっただろう。
自分が本当の古稀であるのは、偶然のことだが、決して私のための会ではない。が、大分とあれば私には縁ある土地。多少の体調不良は、この際目をつぶることにした。
想い起こせば、たしかに今から30年前、私が勤めていたときに丁度支店開設40周年、本店が創立60周年だったので、営業キャンペーン「吉四六(きっちょむ)運動」というのを皆でやった。
吉四六さんは、大分民話の人気者で知恵者であるが、目出度い吉と四と六が運動のネーミングにぴったりだったのである。
さすれば、今回は支70周年、本店90周年ということになる。道理である。光陰矢の如し。
それにしても30年は長い。往時茫々である。大分では二年勤めた。長男だけ東京に残し家族四人で赴任した。懐かしい日々と人との思い出が山ほどある。
別府行に寄せて、腰折れ三首。
冬夕焼け別府湾は暮れわたる30年前の記憶のとおりに
友は皆30年前の顔をして 麦焼酎のかぼす割り呑む
朝日さす日出の出島の的山荘 城下鰈は今もあるらむ