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炎帝 [俳句]

2020年
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 今年も異常な暑い夏であった。毎年異常が続く感じである。
 過ぎてしまえば、はや迫りくる寒さ対策が必要な時期になっていて、今度はこれを越えられるだろうかと怯える。

 夏が終わるとなぜか、自分も父の年齢を越えたという感慨がやってきた。酷暑を凌いだという思いがそうさせるのか、理由は不明だ。
 いずれにしても、自分の力によるものではなく、夏の神様に護られた、或いは宥されて、という思いは強い。

炎帝に宥され父の齢を越へ

 俳句では夏の神様を炎帝という。俳句には俳句以外では余り使わない言葉がある。後に出て来る”蝌蚪(かと)=おたまじゃくし“などもそうである。夏の神様が炎帝なら春、秋、冬の神は別名があるのかというと聞いたことがない。理屈の世界ではないのだ。

 父の齢を越えてあらためて、父と子はどういう関係か、自分と父、自分と自分の子の関係を考えても、およそ不可思議な思いしか無い。
 この歳になっても、父と子について本当のところを理解出来ていないことに、気づき唖然とする。

 まして祖父については父からほとんど聞いておらず、顔も知らないので考えようも無い。むろん曽祖父になると慮外のことになる。普段考えたこともない。孫は一人いるが、自分の子供との関係がわからないくらいだからもっと分からない。
 よって、次の句が出来た。

二重虹父の不可思議子のふしぎ
蝌蚪ふしぎ父の不可思議子のふしぎ 

 親子のように見える二重の虹は不思議な自然現象だ。科学的に説明出来ても、なぜそんな現象が起きるのかという根本的問いには、誰も答えられぬ。おたまじゃくしにしても、なぜカエルの子なのだという問いは同じことだ。

 虹は夏、蝌蚪は春の季語で最初の句に派生してできた二句とも観念句というものだろうが、我ながら不可思議な句ではある。
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